原秀三郎
ウィキペディアから
ウィキペディアから
原 秀三郎(はら ひでさぶろう、1934年10月26日[1]- )は、日本の歴史学者。静岡大学名誉教授。日本古代史専攻。
1934年、静岡県下田市に生まれた。 1953年3月、静岡県立下田北高等学校を卒業。静岡大学文理学部史学専攻で学び、内藤晃に考古学や日本史を学んだ。1958年3月、同大学を卒業。京都大学大学院文学研究科に進み、岸俊男に師事。1965年3月に博士課程国史学専攻を満期退学した。
その後は奈良国立文化財研究所に研究員として勤務。1989年、学位論文『日本古代国家史研究』を京都大学に提出して文学博士号を取得[2]。静岡大学人文学部助教授となり、後に教授昇格。1998年に静岡大学を退官し、名誉教授となった。その後は千葉大学文学部教授として教鞭をとった。2000年に千葉大学を定年退官。
2000年6月 下田市長選挙に公明党・共産党推薦無所属で立候補し落選。得票7745。2人中2位。(当選者石井直樹(2000年~2012年、3期)。得票10567)
専門は日本古代史。大化改新否定論で名を馳せる。友人芝原拓自に導かれてマルクス理論の研究、アジア的生産様式論争に関する学説をたてた。
一方で、近年は180度方向転換し、田中卓の学説を支持して「敬神愛国」をスローガンに掲げ古典解読に取り組んでいる。これは、田中の『伊勢神宮の創祀と発展』に接し、これに反論することができず実力を認めた、しかし当時は皇學館大学の学者の説を認めることは簡単にできず、稲荷山古墳出土鉄剣銘の出現などによって、いいものはいいとはっきり言えるようになった、という[6]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.