原田泰治

日本の画家、グラフィックデザイナー (1940−2022) ウィキペディアから

原田 泰治(はらだ たいじ、1940年4月29日 - 2022年3月2日)は、日本の画家グラフィックデザイナー

概要 生年月日, 没年月日 ...
はらだ たいじ
原田 泰治
生年月日 (1940-04-29) 1940年4月29日
没年月日 (2022-03-02) 2022年3月2日(81歳没)
出身地 日本長野県飯田市
出生地 日本長野県諏訪市
国籍 日本
学歴 武蔵野美術大学短期大学部
職業 画家
活動期間 1963年 - 2022年
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人物

長野県諏訪市生まれ。同県下伊那郡伊賀良村(現・飯田市)で育つ。長野銀行では、原田デザインの通帳キャッシュカードがある。「夢の里」という愛称で顧客からの人気が高い。さだまさしと親交が深く、原田の絵を題材にしたさだの楽曲もある。

略歴

  • 1940年:4月29日、長野県諏訪郡上諏訪町(現・諏訪市)に生まれる。1歳児のとき小児麻痺にかかり両足が不自由になる。
  • 1944年:開拓農民として一家で長野県下伊那郡伊賀良村(現・飯田市)に移住し、少年時代の10年間を過ごす。この間の家族や自然のぬくもりにつつまれた日々の経験が、[原田泰治の世界]の原点となる。
  • 1953年:父親が諏訪市で看板業を再開。諏訪市に戻り、諏訪市立上諏訪中学校に転校。
  • 1956年:長野県諏訪実業高等学校定時制に入学。油彩画を描き始める。在学中に全国ポスターコンクールで2度入賞し、グラフィックデザイナーになることを決意する。
  • 1960年:武蔵野美術大学洋画科に入学し、油彩画を学ぶ。 翌年、武蔵野美術短期大学商業デザイン科に再入学[1] し、商業デザインを学ぶ。
  • 1963年:短大卒業後、故郷の諏訪市に戻り、翌年ホーコードーデザインスタジオを開設し、デザイナーとして活動を始める。
  • 1965年:デザインの仕事の合間に、伊賀良村で過ごした少年時代をテーマに絵を描き始める。
  • 1973年:旧ユーゴスラビアの素朴画家イワン・ラブジンを新聞記事で知り、‟心の生計を立てるために描く“という生き方と作品に感銘を受け、素朴画家を志す。
  • 1980年:第29回小学館絵画賞を受賞。
  • 1982年:朝日新聞日曜版に「原田泰治の世界展」を連載開始し、並行して全国で個展をする。
  • 1989年:アメリカ合衆国各地で展覧会を開催。
  • 1994年:原田原作の絵本『さだおばさん』が東宝より、さだまさし監督、吉田日出子で映画化される。
  • 1997年:長野冬季オリンピック競技大会での文化芸術祭に参加、「ふるさと四季の風‐原田泰治の世界展」出展。
Thumb
諏訪市原田泰治美術館
  • 2009年時点で日本グラフィックデザイナー協会会員、クロアチア共和国ナイーブ美術協会名誉会員、中国・上海金山農民画協会会員を務めていた。
  • 2012年1月25日発売の竹内まりやのシングル『いのちの歌』のCDジャケットに、原田の作品「田植えの子供たち」が使用された[3][4]
  • 2012年、長野日報の題字のデザインを手掛けた。
  • 2022年3月2日、悪性リンパ腫のため長野県茅野市の病院で死去[5][6]81歳没

主な作品集

彼の作品は素朴画(ナイーブ・アート)と呼ばれるもので、日本の美しい風景を描いているのが特徴である。人物の顔には目・まゆ・鼻・口が描かれていないことが多い。

  • 『ふるさとの詩 - 原田泰治の世界』(朝日文庫:1988年)ISBN 978-4022605047
  • 『原田泰治自選画集』(講談社:1991年) ISBN 978-4062049405
  • 『紙ふうせん - 原田泰治素朴画の世界』(講談社:1982年)ISBN 978-4061281486
  • 『原田泰治 心のふる里を描く - ぼくの「夢」・「道」・「詩」・「風」』(講談社カルチャーブックス講談社:1991-年)ISBN 978-4061980358
  • 『鳥の目、虫の目 日本の旅 - 原田泰治の世界』(トランスアート:1999年)ISBN 978-4887521094
共著
絵本

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脚注

外部リンク

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