十勝大橋
北海道音更町・帯広市にある橋 ウィキペディアから
北海道音更町・帯広市にある橋 ウィキペディアから
国道241号の橋(片側2車線、一部3車線)であり、帯広市と音更町を結ぶ幹線道路として混雑している。24時間平均交通量は約35,100台(平成22年度)[6]。地震や風に対する安全性を考慮して設計し、厳寒地での通年施工を工夫しており、1995年度(平成7年度)「土木学会田中賞」を受賞している[7]。夜間はライトアップしている。
十勝大橋の前身は、1905年(明治38年)に架橋された木橋「開成橋」である[8][9]。1910年(明治43年)に河西土木派出所がより頑丈な木橋「河西橋」(橋長114m)を架橋したが、1919年(大正8年)の洪水で流失した[9]。その後、橋長を186 mに延長して架け替えたが、洪水のたびに修理しながら利用してきた[9]。新たなコンクリート橋は1940年(昭和15年)に着工し、橋の名前も「十勝大橋」(橋長369 m)と改称され[8][9]、1941年(昭和16年)に完成した[10]。旧十勝大橋は平衡荷重法によるアーチ式支保工を世界で初めて採用し、φ44 mm、最大長25 mの丸鋼を日本国内で初めて採用するなど、当時の最新技術を使用した橋梁であった[11]。
1980年(昭和55年)に策定された音更町側の堤防を引いて十勝川を拡幅する「木野引堤事業」により[12]、橋梁自体は健全であったが架け替えることになった[9]。1996年(平成8年)、十勝川上流側に新たな十勝大橋が開通した[8]。斜張橋として生まれ変わった十勝大橋は、PC斜張橋として幅員、面積などが日本国内最大級の規模となっている[13]。なお、旧橋の偲ぶため「さようなら旧十勝大橋」というイベントを開催し[9]、帯広側には旧橋の橋台が残されている。
旧十勝大橋(1941年 - 1996年) | |
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設計者 | 北海道庁技師 横道英雄[14] |
施工者 | 北海道庁帯広治水事務所(後の帯広土木現業所)[14] |
橋格 | 一等橋[14] |
形式 | 鉄筋コンクリート (RC) ゲルバー桁橋[11][14] |
橋長 | 390 m [11][14] |
支間割 | 10.5 m + 9@41.0 m + 10.5 m[11][14] |
幅員 | 2@2.7 m + 2@3.5 m + 5.6 m[11][注 1] |
2.7 m + 12.6 m + 2.7 m[14] | |
面積 | 6,987 m²[11] |
十勝大橋(1996年 - ) | |
発注者 | 北海道開発局帯広開発建設部[1] |
施工者 | 鹿島・日本高圧・ドーピーJV(その1工事)[1] |
大成・住友・ピーエスJV(その2工事)[1] | |
橋種 | プレストレスト・コンクリート橋[1] |
道路種別 | 4種1級(都市部)幹線B地域[1] |
橋格 | 1等橋 (TL-20)[1] |
形式 | 3径間連続PC斜張橋[1] |
橋長 | 501 m[1] |
支間割 | 124.1 m + 251.0 m + 124.1 m[1] |
幅員 | 32.8 m(4.5 m + 8.5 m + 6.0 m + 8.5 m + 4.5 m)[1] |
有効幅員 | 26.0 m[1] |
主塔構造 | 鉄筋コンクリート独立1本柱[1] |
主桁構造 | PC4室箱桁[1] |
施工方法 | 片持ち張出し架設[1] |
音更側(音更大通)は木野大通1丁目交差点で木野東通、木野大通3丁目交差点で北海道道498号長流枝内木野停車場線(宝来南通)、鈴蘭公園通と接続している。木野大通6丁目交差点までの区間においては無電柱化が実施されている[15]。帯広側では西3条通、西2条通、国道241号(大通)に分かれ、いずれも国道38号と交差している。帯広側の十勝川河川敷には野球場、サッカー・ラグビー場の運動施設があり[16]、『勝毎花火大会』や『道新十勝川花火大会』など各種イベント会場としても利用している。
音更町
帯広市
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