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日本の大阪府東成郡にあった村 ウィキペディアから
北百済村(きたくだらむら)は、かつて大阪府住吉郡・東成郡に存在した村。現在の大阪市東住吉区桑津、今林、杭全、今川にあたる。
東成郡の中央よりやや東南に位置し、東西約13町(約1.4 km)、南北約20町(約2.1 km)、面積0.1233方里(1.9平方キロメートル)の区域であった。東は平野郷町、中河内郡巽村、西は田辺町、天王寺村、北は生野村、南は南百済村とそれぞれ接していた。
村内には「桑津」、「今林」、「新在家」、「今在家」の4の大字と52の小字が存在した。現在の地形とほぼ同じく村全域に平地で中央に南北に通る今川堤があり、その東に今川、西に駒川が流れていた。江戸時代(平野郷の散郷だった頃)から純農村地域で村民は農業従事者が大部分を占め、『東成郡誌』には「地勢平坦。地味は乾田多く攘土にして米作に適せり。」、「本村は古来純農村にして今に農業は本村の大部を占む」、「主要農作物は米麦とす」との記録が残っている。
大字 | 小字 |
---|---|
大字桑津 | 桑津、東浦、北ノ山、北口、芝、一ノ坪、塩辛、宮西、西野々、墓ノ前、大塚、中島、砂河原、西口、南口、大井、瓜生 |
大字今林 | 今林、道願切、松本、三輪田、波打、池内、木寅、大別富、芝ノ掛、神子圓、下東河原、上東河原 |
大字新在家 | 新在家、馬繋、樋上、マブシ、尼ヶ池、古川、太島、野末、池ノ内、高部、ウトフ、三輪田、垣添、サナフリ、桑津河原 |
大字今在家 | 今在家、ビソ、菩薩ヶ池、皿池、サナフリ、島ノ池、無用、狐塚 |
備考:大字桑津は現在の桑津、大字今林は今林、大字新在家は杭全、大字今在家は今川に位置する。 |
桑津をのぞく3大字は平野とのつながりが深く、1702年(元禄15年)に馬場町・泥堂町・市町・野堂町・流町・背戸口町・西脇町の本郷七町と、今林村・新在家村・今在家村・中野村の散郷四村を統合して平野郷町となった。散郷四村は1879年(明治12年)に平野郷町から分離し、以降は本郷七町とは別の自治体(北百済村・南百済村)を形成することとなった。
『東住吉区史』には、当時の住吉神社の神官が「酒君塚」(鷹合)のあることから命名したとされている。
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村長名 | 任期 |
---|---|
奥村太三郎 | 1889年(明治22年)5月27日 - 1890年(明治23年)6月14日 |
辰巳為三郎 | 1890年(明治23年)6月24日 - 1894年(明治27年)4月20日 |
藤本繁 | 1894年(明治27年)4月27日 - 1897年(明治30年)6月3日 |
日下裕三 | 1897年(明治30年)11月5日 - 1899年(明治32年)12月1日 |
辰巳為三郎 | 1900年(明治33年)2月16日 - 1902年(明治35年)5月26日 |
日下陽一 | 1902年(明治35年)6月5日 - 1906年(明治39年)11月2日 |
河井信一 | 1907年(明治40年)3月 - 1911年(明治44年)2月14日 |
仲田泰治郎 | 1911年(明治44年)2月15日 - 1920年(大正9年)6月13日(3期連続) |
仲田太三郎 | 1920年(大正9年)9月17日 - |
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