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政治家、篤農家 ウィキペディアから
北原 名田造(きたはら なだぞう[1]、1894年(明治27年)4月1日[1][2] - 1990年(平成2年)10月29日[3])は、大正から昭和期の政治家、篤農家。長野県駒ヶ根市長。号は竹雲山人[1]。
長野県上伊那郡赤穂村(現駒ヶ根市[4])で、北原久次郎、やす の三男として生まれた[1]。旧制飯田中学(現長野県飯田高等学校)を経て[1]、1917年(大正6年)東京帝国大学農科大学の農地実地見習を修了[1][2][4]、同附属果樹園主任となり[2]、1920年(大正9年)桔梗ヶ原に北原農場を開設し[2]、果樹野菜栽培や畜産の先駆となる。
1947年(昭和22年)長野県議会議員となり、同副議長も務めた[1][4]。1951年(昭和26年)欧米各国を視察し[2]、1952年(昭和27年)長野県人事委員会委員長[2][4]、長野県総合開発審議会会長などを歴任[2]。
1956年(昭和31年)1月、駒ヶ根市長選挙に当選し[1][2]、1968年(昭和43年)1月まで3期務めた[2][4]。在任中は上水道や簡易水道の給水事業、長野県立駒ヶ根病院、市立救護施設駒ヶ根順天寮の開設、ゴミ焼却場、伊南衛生センターの建設、中央アルプス駒ヶ岳ロープウェイの開通や、駒ヶ根高原の開発に尽力した[2]。退任後は同44年(1969年)長野県草地協会を創設し顧問となる。
その他、長野県市長会長、長野県日中友好協会副会長、日本赤十字社長野県支部評議員、中央アルプス観光会社顧問などを歴任した[1][2][4]。
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