勝川春英翁略伝の碑
東京都墨田区の長命寺にある石碑 ウィキペディアから
東京都墨田区の長命寺にある石碑 ウィキペディアから
勝川春英翁略伝の碑(かつかわしゅんえいおうりゃくでんのひ)とは、 浮世絵師の勝川春英を顕彰するために建てられた石碑のこと。東京都墨田区向島の長命寺に在る。
文政8年(1825年)に勝川春英の七回忌が行われたが、このとき春英の門人たちによって江戸向島の長命寺に建てられた石碑で、今も長命寺の境内に伝存する。撰文は石川雅望によるが、春英の生年を「明和五年」(1768年)と誤っている(実際は宝暦12年〈1762年〉)。碑の裏面には勝川春徳をはじめとした春英の門人12人の名が刻まれている。
[勝川春英翁略伝]久徳斎勝川春英翁は大江戸いつみ町の人なり 世に聞へたる絵師なることは人の知るところなれは」いはす 父は磯田次郎兵衛といひ母は某氏とか はやう勝川春章か弟子と成て それか氏を継ぬ 子二人」あり 女子はさきたちてうせぬ 男子斧二今世にあり 翁明和五年戊子にうまれて 文政二年己卯十月二十六日」 とし五十八にてみまかりぬ 浅草本願寺なる善照寺に墓あり 翁本性すなほにして錺ることをいみきらひて いつこへゆ」くにもけの服のまゝに出ぬ かくてはみくるし かさねてはうるはしき衣きて来給へと ありひかいふをきゝて 後の日又」かしこに至りぬ 出あへるものら うちたふれて笑ふことかきりなし 翁さるかくの女の装束を ことにきらきらしきを」うちきて まめたちてをりて みつからは をかしけともおもはぬけにありける ある時 日ころをすくして家にかへりきて」 とのかたに立ゐて いかに春英のやとりはこれかと たかやかにいふを 妻おとろきて戸をひきあけていれつ なにとていま」のほと きはきはしくはのたまへるといへは 日をへて帰りきたれは もし此家あたし人の物にやなりぬらん さら」は案内せてはあしからんと思ひて さはいひたるなりけりといらへき すへて翁のしはさ顧長康の風あり」と みな人はいひにけり おほかた江戸絵ととなへて木にゑりてすりたるもの 翁の右にいつるものなしと」そ北尾なにかしはいひたる 翁なくなりてことし七とせになりぬとて まなひをうけたる人々かたらひあは」せて かくさまの石をたてゝ おのれをして聊なるつるへことをしるさせつ あはれかゝる人のむそちにもたらて」 をはりをとりぬる かへすかへすをしみても をしむへきことなりかし
文政八年乙酉十月 石川雅望於六樹園書
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