Loading AI tools
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
加賀 健一(かが けんいち、1983年9月30日 - )は、秋田県南秋田郡天王町(現:潟上市[3])出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ブラウブリッツ秋田所属。ポジションはディフェンダー、ミッドフィールダー(本職はセンターバック(CB)[4])。
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
2022年のサイン | ||||||
名前 | ||||||
カタカナ | カガ ケンイチ | |||||
ラテン文字 | KAGA Kenichi | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1983年9月30日(41歳) | |||||
出身地 | 秋田県南秋田郡天王町(現:潟上市) | |||||
身長 | 181cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ブラウブリッツ秋田 | |||||
ポジション | DF / MF | |||||
背番号 | 50 | |||||
利き足 | 右足[1][2] | |||||
ユース | ||||||
1999-2001 | 秋田商業高等 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2002-2011 | ジュビロ磐田 | 111 | (2) | |||
2005-2006 | → コンサドーレ札幌 (loan) | 75 | (4) | |||
2012-2014 | FC東京 | 42 | (0) | |||
2015-2016 | 浦和レッズ | 5 | (0) | |||
2017-2019 | モンテディオ山形 | 48 | (1) | |||
2020- | ブラウブリッツ秋田 | 41 | (1) | |||
代表歴 | ||||||
2001 | 日本U-18 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2024年2月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
10歳の時にサッカーを始める[2]。1999年、秋田商業高校に進学。高校2年生の時にFWからDFにコンバートされた。当時はもっぱら3バックの中央を務め、1対1の強さと攻撃参加を売りにしていた。
2002年にジュビロ磐田に入団。サテライトではスピードを活かし右のストッパーとして活躍していたが、トップチームで同ポジションを務めていた鈴木秀人からポジションを奪うことができなかった[5]。
出場機会を求めて、2005年よりコンサドーレ札幌へと期限付き移籍[6][7]。札幌では、後に磐田でも指揮を執る柳下正明監督の下でレギュラーとして活躍し[5]、2シーズンの間、CBの主軸としてプレー。右サイドのウイングバック(WB)でも起用された。
札幌での活躍と成長が磐田側に評価され、2007年から3シーズンぶりに磐田に復帰[8][9]。CBの他、4バック時には右サイドバック(SB)として起用され[5][4]、後方からの攻撃参加に抜群のスピードを発揮した[1]。同年9月30日、自身の誕生日に入籍。2010年はセンターバックのレギュラーとして活躍していたが、同年7月に富山との練習試合中に相手選手のキックを顔面に受けて頸椎骨折の大怪我を負い、長期離脱を余儀なくされた[10]。約半年間のリハビリを経て、2011年の開幕戦より戦線復帰[10]。同年のナビスコカップ福岡戦ではハーフライン付近からのロングボールがそのままゴールとなり[11] 4年ぶりの得点を挙げた。同年末、FC東京や川崎などから獲得のオファーを受ける[12]。
2012年よりFC東京へ完全移籍[13][14]。退団した今野泰幸の穴を埋めるべく[15]、主に右CBでプレー。韓国代表DFチャン・ヒョンスらとポジションを争った[16][17]。SBもこなすスタイルから、ランコ・ポポヴィッチ監督からはイタリアのDFクリスティアン・パヌッチに例えられていた[18][19]。2014年は開幕から好調を維持するも[20]、J1第4節川崎戦で安柄俊からの肘打ちを頸部に受け[21] 離脱。復帰後も同箇所[22] やハムストリング近位挫傷[23] と負傷が続いた[20][24]。同年限りでFC東京との契約を満了し[25] 退団[24]。年長選手も遠慮なしにいじるムードメーカーとしても[18][26] 親しまれていた[27]。
2015年に浦和レッズへ完全移籍[28]。左右のストッパーとして構想されていたが[25]左足負傷で出遅れてしまい、闘志剥き出しのプレーで復調を見せるも[29] 在籍2年間でリーグ戦5試合出場にとどまった。
2017年にモンテディオ山形へ完全移籍[30][31]。同年7月、J2第24節湘南戦では相手GKの手元で鋭く落ちるミドルシュートを決め[32]、公式戦6年ぶりの得点を記録した。
2020年1月13日、ブラウブリッツ秋田に完全移籍により加入すると発表された[33]。2021年、左膝前十字靭帯断裂で戦線離脱[34]。
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | 磐田 | 30 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2003 | 25 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
2004 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2005 | 札幌 | 15 | J2 | 31 | 0 | - | 1 | 0 | 32 | 0 | |
2006 | 44 | 4 | - | 5 | 1 | 49 | 5 | ||||
2007 | 磐田 | J1 | 30 | 2 | 4 | 0 | 2 | 0 | 36 | 2 | |
2008 | 30 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 35 | 0 | |||
2009 | 9 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 13 | 0 | |||
2010 | 2 | 12 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 17 | 0 | ||
2011 | 30 | 0 | 3 | 1 | 1 | 0 | 34 | 1 | |||
2012 | FC東京 | 5 | 17 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 20 | 0 | |
2013 | 18 | 0 | 6 | 0 | 3 | 0 | 27 | 0 | |||
2014 | 7 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 9 | 0 | |||
2015 | 浦和 | 2 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | |
2016 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | |||
2017 | 山形 | 15 | J2 | 20 | 1 | - | 0 | 0 | 20 | 1 | |
2018 | 15 | 0 | - | 0 | 0 | 15 | 0 | ||||
2019 | 5 | 13 | 0 | - | 0 | 0 | 13 | 0 | |||
2020 | 秋田 | 50 | J3 | 11 | 0 | - | 0 | 0 | 11 | 0 | |
2021 | J2 | 17 | 1 | - | 0 | 0 | 17 | 1 | |||
2022 | 9 | 0 | - | 0 | 0 | 9 | 0 | ||||
2023 | 4 | 0 | - | 1 | 0 | 5 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J1 | 158 | 2 | 32 | 1 | 9 | 0 | 199 | 3 | |
日本 | J2 | 153 | 6 | - | 7 | 1 | 160 | 7 | |||
日本 | J3 | 11 | 0 | - | 0 | 0 | 11 | 0 | |||
総通算 | 322 | 8 | 32 | 1 | 16 | 1 | 370 | 10 |
その他の国際公式戦
ブラウブリッツ秋田
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.