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日本の江戸時代前期~中期の大名。加賀大聖寺藩2代藩主前田利明長男で、大聖寺藩3代藩主。従四位下飛騨守 ウィキペディアから
前田 利直(まえだ としなお)は、江戸時代中期の大名。加賀大聖寺藩の第3代藩主。
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寛文12年(1672年)6月25日、第2代藩主・利明の長男として江戸に生まれる。貞享元年(1684年)に将軍・徳川綱吉に御目見して以降、綱吉の寵愛を受け、藩主になる以前の元禄4年(1691年)に、外様大名の世子の立場にもかかわらず奥詰に任じられ、待遇も譜代大名並に扱われた。翌元禄5年(1692年)に父親が死去したために跡を継ぐ。このとき、弟の利昌に1万石を分与して、支藩である大聖寺新田藩を立藩させた。
綱吉の側近であった立場から江戸に在府し、国に戻って藩政を執るということがほとんどなかったため、藩政は家臣団によって牛耳られ、実権をめぐっての対立が絶えず、また江戸藩邸の焼失などで藩財政が圧迫した。しかも晩年の宝永6年(1709年)、綱吉が死去すると奥詰を解任された上、弟の利昌が大和柳本藩主・織田秀親を刺殺して切腹処分となり、新田藩も改易となるなど、不幸が続く中で、宝永7年(1710年)12月13日に死去した。
跡を養嗣子の利章が継いだ。
父母
正室
子女
養子
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