刑部省
8世紀日本の省庁 ウィキペディアから
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8世紀日本の省庁 ウィキペディアから
刑部省(ぎょうぶしょう、和名: うたへただすつかさ[注釈 1]、旧字体:𠛬部省)は、古代日本の律令制下の八省の一つ、もしくは明治時代の省庁の一つ。
古代日本における律令制下の八省の一つ。主な職掌は、司法全般を管轄し重大事件の裁判・監獄の管理・刑罰を執行することである。しかし、軽罪については各官司が独自に裁判権を持ち、平安時代に検非違使が設置されて以降、ほとんどの職掌を検非違使に奪われることとなり、有名無実化した。唐名は刑部、秋官、大理。官舎は皇嘉門内にあった[1]。
四等官の他、品官として罪人を裁く判事が設置され、また罪人に対する糾問にあたる解部も設置されていた。判事や解部の部局は刑部省からある程度独立していた。
長官である刑部卿は正四位下相当で、平忠盛なども任命されたことがある[1]が、従三位以上の公卿が兼帯することも多かった。唐名は刑部尚書、秋官尚書、大理卿。
大輔以下の職員構成は以下の通り。
下級事務職員として、
注:大輔と少輔には後に権官も置かれた。
1869年8月15日(明治2年7月8日)、太政官に設置された省庁の一つで、裁判や刑罰の執行、欧米の法令の翻訳などを管轄していた。1871年8月24日(明治4年7月9日)に弾正台との統合による司法省の新設にともなって廃止された。
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