Remove ads
日本の自転車競技選手 ウィキペディアから
出宮 順一(でみや じゅんいち、1917年 - 1945年6月)は、日本の自転車競技選手[1]。岡山県の旧玉島町(現・倉敷市)出身。
1936年8月開催のベルリンオリンピック日本代表選手に選出され、同大会の開会式には参加したが、役員の登録ミスでレースに出場できなかった。その3ヵ月後、結果的に日本人選手として、オリンピックも含めて初めて自転車競技の世界大会出場となった、スイスのチューリッヒとベルンで開催された同年世界選手権自転車競技大会に、石塚隆春、村上二三九、困見辰夫の3人とともに参加。スクラッチ[2]及び145kmロードレース(いずれもアマチュア部門)に出場し、ロードレースにおいて7位に入る健闘を見せた[3]。
その後、第二次世界大戦が始まると陸軍に召集されて出征。いわゆる銀輪部隊の一員ともなっていたが、1945年6月に旧ビルマにて戦死した[1]。
岡山市にある自転車資料館に、ベルリンオリンピックで着用していたユニフォームが展示されている。
1931年(昭和6年)
西日本サイクル・チーム・レース 個人総合3位(第1日 鹿児島‐熊本217km 入賞外、第2日 熊本‐門司214km 3位、第3日 下関‐広島208km 6位、第4日 広島‐岡山196km 優勝、岡山‐大阪181km 3位)
1933年(昭和8年)
第3回西日本サイクル選手権大会岡山県予選会(岡山‐津山73哩道路競走) 優勝
1934年(昭和9年)
第4回全日本サイクル選手権大会(現在の全日本アマチュア自転車競技選手権大会)岡山県予選会(岡山市奥市運動場[4]5,000米速度競走) 優勝
第4回全日本サイクル選手権(甲子園南運動場)
1935年(昭和10年)
日本サイクル競技連盟創立記念サイクル競技大会
第5回全日本サイクル選手権大会岡山県予選会(西大寺運動場[6]10,000米速度競走) 優勝
第5回全日本サイクル選手権大会(甲子園南運動場)
1936年(昭和11年)
1936年度世界選手権自転車競技大会派遣代表選手選考第1次予選会(甲子園南運動場)
京都サイクル競技大会
1936年度世界選手権自転車競技大会派遣代表選手選考全日本第2次予選会[7]
1936年世界選手権自転車競技大会
1937年(昭和12年)
第7回全日本自転車競技選手権大会(現在の全日本アマチュア自転車競技選手権大会)岡山県予選会(岡山師範運動場)
第7回全日本自転車競技選手権大会(甲子園南運動場)
第9回明治神宮体育大会自転車競技(陸軍戸山学校運動場)
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.