内藤政文
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内藤 政文(ないとう まさふみ)は、江戸時代後期の大名。三河国挙母藩6代藩主。官位は従五位下・山城守。挙母藩内藤家10代。井伊直弼の甥である。
文政13年(1830年)6月13日、井伊中顕(近江国彦根藩主・井伊直中の六男)の三男として誕生する。嘉永4年(1851年)に叔父で挙母藩5代藩主・内藤政優が死去したため、その養子として家督を継ぎ、12月16日に従五位下・山城守に叙位・任官する。なお、4代藩主・内藤政成も同じく叔父で、当時は隠居として健在であり、また政文の正室・増子は政成の孫娘で養女であった。
嘉永5年(1852年)より馬産を奨励して産業振興を図り、安政2年(1855年)には洪水でたびたび悩まされていた安永川の修築に努めた。そのほかにもオランダ軍制や西洋医学の導入に努めて、文武の奨励を図った。政文は馬術に優れた人物で、馬場稽古所を設置して、自ら藩士を訓練したという逸話もある。
父母
正室
子女
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