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江戸時代の大名 ウィキペディアから
内田 正良(うちだ まさよし)は、江戸時代中期の大名。下総小見川藩の第3代藩主。小見川藩内田家6代。
通称は主殿。享保15年(1730年)、内田氏の分家である内田正記の次男として生まれる[2]。同家は内田正世の三男正友を初代としており、父正記は武蔵国多摩郡で500石を支配する旗本であった[3]。はじめは同じ分家の内田正伝の養子となっていた。同家は内田正衆の三男正長を初代としており、養父正伝は常陸国鹿島郡などで1500石を支配する旗本であった[4]。
宝暦3年(1753年)5月26日、本家の藩主・内田正美が早世したため、末期養子となって跡を継いだ。同年7月28日、将軍徳川家重にお目見えする。同年12月18日、従五位下主殿頭に叙任する。宝暦8年(1758年)2月19日に大坂加番となる[5]。明和6年(1769年)8月19日、近江守に改める。天明2年(1782年)2月14日、長男の正純に家督を譲って隠居し[2]、文化4年(1807年)10月12日に死去[5]。享年78。
父母
正室
子女
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