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児玉 実良(兒玉 實良、こだま さねよし、1882年(明治15年)11月5日[1] - 1956年(昭和31年)3月20日 [2])は、明治末から昭和期の裁判官、検察官、弁護士。衆議院議員。
鹿児島県薩摩郡樋脇郷麓[3](樋脇村[4]、樋脇町[5]を経て現薩摩川内市)で、児玉善輔の長男として生まれた[1]。1908年(明治41年)京都帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業[1][3][6]。司法官試補に任じられ[1]、徳島地方裁判所判事、千葉地方裁判所判事、名古屋地方裁判所・名古屋区裁判所検事、七尾区裁判所検事、小倉区裁判所検事、高松地方裁判所・高松区裁判所検事、京都地方裁判所・京都区裁判所検事、鹿児島区裁判所検事などを歴任した[4][6]。退官後は鹿児島市で弁護士を開業した[1][2][6]。
1925年(大正14年)8月3日、第15回衆議院議員総選挙鹿児島県第5区補欠選挙で当選し[7][8]。衆議院議員に1期在任し[2]、政友本党、立憲民政党に所属した。
議員退任後、1930年(昭和5年)鹿児島新聞社長に就任[1][3]。戦時中の新聞統制により1942年(昭和17年)2月、鹿児島新聞と鹿児島朝日新聞が合併し鹿児島日報(現南日本新聞)が設立されると初代社長に就任[5]。資金調達に尽力して新会社の基礎作りを行い、1943年(昭和18年)2月に社長を辞任した[5]。
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