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1892年に発表された軍歌 ウィキペディアから
『元寇』(げんこう)は、1892年(明治25年)に発表された軍歌。全4番からなる。作詞・作曲は陸軍軍楽隊士官の永井建子だが、当時は彼の号である「人籟居士」の下で発表された。
元の襲来(元寇)をテーマにした歌で、大正天皇も愛唱し、歌った後には側近に「お前、閉口か」と笑いかけたという。黒澤明の監督第二作『一番美しく』で、効果的に使用されている。
- 四百余州を
挙 る 十万余騎の敵
国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖 れん我に 鎌倉男児あり
正義武断の名 一喝 して世に示す- 多々良浜辺の
戎夷 そは何蒙古勢傲慢 無礼もの倶 に天を戴 かず
いでや進みて忠義に鍛 えし我が腕
ここぞ国のため 日本刀を試し見ん- こころ
筑紫 の海に 波押し分けてゆく
ますら猛夫 の身 仇を討ち帰らずば
死して護国の鬼と 誓いし箱崎の
神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし- 天は
怒 りて海は 逆巻く大浪に
国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
底の藻屑 と消えて 残るは唯三人
いつしか雲はれて 玄界灘月清し
校歌『都の西北』制定以前の早稲田大学では、1902年(明治35年)の大学開校式祝典時に坪内逍遥が『元寇』の曲を転用して作詞した記念歌『煌々五千の炬火』が校歌として扱われていた[1][2]。
戦後も替え歌がテレビなどでも使われ、そのメロディーは歌詞以上に有名である。マンガ『はだしのゲン』の作中で主人公の元が繰り返し歌う「八百八州のこじき、ざる持って門に立ち…」も『元寇』の替え歌である。
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