綸 直(りん ちょく)は、中国三国時代の武将。『晋書』に名が見える。
遼東の公孫淵配下の将軍。公孫淵が魏に叛いた際に同僚の賈範らと共に諌めたため公孫淵の怒りを買い、賈範と共に殺された。司馬懿が公孫淵の反乱を鎮圧すると、綸直らの墓を手厚く祀り、遺嗣を顕した[1]。
小説『三国志演義』では第106回に登場する。倫直と表記され、ほぼ同様の顛末をたどる[2]。
晉書 卷一帝紀第一 (中国語), 晉書/卷001#宣帝, ウィキソースより閲覧。 - 初,文懿篡其叔父恭位而囚之。及將反,將軍綸直、賈範等苦諫,文懿皆殺之。帝乃釋恭之囚,封直等之墓,顯其遺嗣。 第百零六回 公孫淵兵敗死襄平 司馬懿詐病賺曹爽 (中国語), 三國演義/第106回, ウィキソースより閲覧。 - 叡封淵為大司馬、樂浪公。淵心不足,與眾商議,自號為燕王,改元紹漢元年。副將賈範諫曰:「中原待主公以上公之爵,不為卑賤;今若背反,實為不順。更兼司馬懿善能用兵,西蜀諸葛武侯且不能取勝,何況主公乎?」淵大怒,叱左右縳賈範,將斬之。參軍倫直諫曰:「賈範之言是也。聖人云:『國家將亡,必有妖孽。』今國中屢見怪異之事。近有犬戴巾幘,身披紅衣,上屋作人行。又城南鄉民造飯,飯甑之中,忽有一小兒蒸死於內。襄平北市中,地忽陷一穴,湧出一塊肉,周圍數尺,頭面眼耳口鼻都具,獨無手足,刀箭不能傷,不知何物。卜者占之曰:『有形不成,有口不聲;國家亡滅,故現其形。』有此三者,皆不祥之兆也。主公宜避凶就吉,不可輕舉妄動。」淵勃然大怒,叱武士綁倫直並賈範同斬於市,(中略)人告懿曰:「賈範、倫直苦諫淵不可反叛,俱被淵所殺。」懿遂封其墓而榮其子孫;