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佐藤 和夫(さとう かずお、1927年1月5日 - 2004年9月22日)[1]は、経済学者。ラトガーズ大学経済学名誉教授。札幌市生まれ。
人物情報 | |
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生誕 |
1927年1月5日 日本 北海道札幌市 |
死没 |
2004年9月22日(77歳没) アメリカ合衆国 ニューヨーク市 |
出身校 |
北海道大学 学士 (1953) イェール大学 修士 (1956) イェール大学 博士 (1960) |
学問 | |
研究分野 | 経済学 |
研究機関 |
大阪大学 ニューヨーク州立大学バッファロー校 ラトガーズ大学 |
指導教員 |
リチャード・ラグルズ(英語: Richard Ruggles) ジェームズ・トービン チャリング・クープマンス |
称号 |
ラトガーズ大学経済学名誉教授 北海道大学名誉教授 |
1927年に北海道札幌市に生まれる。1953年に北海道大学経済学部を卒業。その後渡米し、1960年にイェール大学より博士号を授与される。1959年に大阪大学社会経済研究所に助教授として着任し、1962年から1970年まで国際連合事務局経済調査官を務める。
1970年からニューヨーク州立大学バッファロー校経済学部で教授を務め、1984年にラトガーズ大学に移籍する。その間、マサチューセッツ工科大学、コロンビア大学、イェール大学で客員教授として勤務した。教員として定年退職したラトガーズ大学の他に、母校の北海道大学にも名誉博士号を授与された[2]。日本では大阪大学の他に筑波大学、名古屋市立大学等で教壇に立った[1]。
日本経済に関する日本語の論文を英語に翻訳して学術誌としてまとめたThe Japanese Economy (2014年以降-2021年現在はThe Japanese Political Economy、1972年の創刊から1996年まではJapanese Economic Studies) の編集長を1972年から2002年まで30年にわたって務めた[1]。2004年9月22日にニューヨーク市の自宅で心臓麻痺で亡くなり[1]、2005年10月にはJournal of Asian Economicsに追悼巻が組まれた[2]。
最も引用されている論文の1つが対数差分指数 (log-change index) に関するもので[7]、例えばバラエティの増加を通じた貿易の利益を推定する際に応用されている。ロバート・フィーンストラが1994年の論文で考案した手法には佐藤の数式が応用されており[8]、同時期に同分野で貢献をしたフィンランド人経済学者のユリョ・バーシャ(英語: Yrjö Vartia)の名前と共に「佐藤-バーシャ指数 (Sato-Vartia Index)」 と呼ばれている[9]。
キャリアの前半では理論経済学の業績が多いが、キャリア後期では日本経済を対象とした応用分析が中心となる。ただ、キャリア前期と後期で一貫しているは価格指数やGDPの測定に関する論文が多いことである。
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