佐田篤史

日本の囲碁棋士 ウィキペディアから

佐田 篤史(さだ あつし、1995年12月24日 - )は、関西棋院所属の囲碁棋士。七段。岡山県岡山市出身[1]角慎介六段門下。

概要 佐田篤史 七段, 名前 ...
 佐田篤史 七段
名前 佐田篤史
生年月日 (1995-12-24) 1995年12月24日(29歳)
プロ入り年 2012年
出身地 岡山県岡山市
所属 関西棋院
師匠 角慎介
段位 七段
概要
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経歴

4歳の頃、父と祖父の影響を受けて囲碁を始める[2]。その後角慎介の囲碁教室に入門し、12歳の時に関西棋院の院生となる[2]。プロ棋士を志すようになった具体的な時期は覚えておらず、早い段階で自然とプロ棋士を目指すようになったという[3]。中学校卒業後は高校に進学せず、単身で大阪府に移り住んで研鑽を重ねた[4]。2012年1月、16歳で入段を果たす。

2013年、第4回アジアインドア・マーシャルアーツゲームズの囲碁男子団体戦で平田智也本木克弥鶴田和志とともに日本代表として出場し、3位となった[5]。同年には関西棋院賞新人賞を受賞。

2014年、第1回棋戦優勝者選手権戦ではファン投票枠で本戦に出場した(1回戦で村川大介阿含・桐山杯と対戦し敗退)[6]。また、第40期碁聖戦で本戦進出を果たす(1回戦で趙治勲九段に敗退)[7]。連勝賞・永井賞を受賞。

2015年、第2回グロービス杯世界囲碁U-20で本戦に進出しベスト8[8]。また、第41期碁聖戦では本戦準決勝まで勝ち進んだ(2016年3月、準決勝で山下敬吾九段に敗退)[9]

2017年、第42期棋聖戦でCリーグ入りを果たし、3勝2敗で残留[10]

2018年、非公式若手棋戦の第3回谷口杯で優勝[11]。第43期棋聖戦Cリーグは2勝3敗で降格[12]

2019年、第45期天元戦では本戦に進出し、志田達哉七段・本木克弥八段・張栩名人・河野臨九段を破り挑戦者決定戦まで進出。許家元八段に敗れたものの、挑戦手合出場まであと1勝とする快進撃を見せた[1][13]。これらの活躍により利仙賞を受賞[14]

2020年、第76期本因坊戦最終予選を制し、自身初のリーグ入りを達成。8月31日の最終予選決勝は余正麒八段との関西棋院対決であった。これにより、9月1日付で七段に飛付昇段[15][16]。また、第45期新人王戦では決勝戦に進出したが、10月26日、関航太郎三段に1勝2敗で敗れ初タイトル獲得はならなかった[17]

2021年、第76期本因坊戦リーグは2勝5敗で陥落したものの、第77期最終予選を制し再びリーグに復帰[18]。また、第65期関西棋院第一位決定戦では5連覇を懸ける余正麒第一位に挑んだが、9月30日、0勝2敗で敗れタイトル獲得ならず[19]

2022年、第61期十段戦で挑戦者決定戦まで進出。自身二度目となる七大タイトルの挑戦者決定戦だったが、余正麒八段に敗れ初の挑戦手合進出はならなかった[20]第77期本因坊戦リーグは2勝5敗で陥落したが[18]、一方で第48期名人戦では最終予選を制しリーグ入り[21]。第70期王座戦では本戦ベスト8[22]2022年アジア競技大会代表決定戦で伊田篤史を破り代表入り。

人物等

  • 囲碁の勉強では棋士仲間との対局に費やす時間が最も長いが、囲碁AIも勉強に取り入れているという[3]芝野虎丸の最年少名人や上野愛咲美の竜星戦準優勝といった2019年の若手棋士躍進の理由については、若手棋士の方が囲碁AIをより柔軟に取り入れられるからではないかと指摘している[1]
  • 2019年にオープンした大阪こども囲碁道場では、吉川一小松大樹谷口徹らとともに師範を務めている[2]

棋歴

良績等

受賞歴

関西棋院賞

  • 新人賞 2013年
  • 利仙賞 4回(2019-2022年)
  • 道玄賞 1回(2024年)
  • 連勝賞 1回(2014年)
  • 永井賞 3回(2014-2015年、2017年)

昇段履歴

  • 2012年1月 入段
  • 2014年1月 二段
  • 2018年8月 三段
  • 2019年6月 四段
  • 2020年9月 七段(第76期本因坊戦リーグ入り)

脚注

外部リンク

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