佐怒賀修一郎

日本の養蚕家、政治家 ウィキペディアから

佐怒賀 修一郎[1](さぬか しゅういちろう、1880年明治13年〉10月14日[1] - 没年不明)は、日本養蚕家[2]政治家茨城県猿島郡森戸村[1][3](10代、11代、15代[4])。

経歴

茨城県猿島郡森戸村伏木(現・境町)出身[3]。佐怒賀家は名主をつとめた家柄で、苗字帯刀を許されていた[3]明治大学に学んだ[3]1913年、森戸村収入役[1]1915年村長に就任し[4]、8年間村治に精励して退職、その間幾多の公職に就いた[3]

水利組合管理者、境烟草耕作組合連合会長、農会長、消防組頭をつとめた[3]1920年の第1回国勢調査に際しては委員主任に選ばれた[1]1933年、推されて再び村長の栄職に就き[3]1937年、退職した[4]

人物

一貫して至誠、村発展に尽瘁し、屈指の徳望家である[3]

脚注

参考文献

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