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伴 保平(とも の やすひら)は、平安時代前期から中期にかけての公卿。播磨守・伴春雄の子。官位は従三位・参議。
寛平3年(891年)内舎人に任ぜられ官途に就く。木工少允・織部正を経て、延喜9年(909年)従五位下・肥前守に叙任される。
延喜10年(910年)諸陵頭次いで修理亮と一時京官を務めるが、翌延喜11年(911年)若狭守として再び地方官に遷ると、紀伊守・伊勢守・大和守・近江守と、醍醐朝の後半から朱雀朝にかけてほぼ30年の長きに亘って地方官を歴任する。またこの間、延喜17年(917年)従五位上、延長6年(928年)正五位下と昇進している。
延長8年(930年)朱雀天皇の即位に伴い従四位下に、承平2年(932年)には長年の治国の功労により従四位上に昇叙されるなど、朱雀朝では順調に昇進し、天慶2年(939年)には参議に任ぜられて73歳にして公卿に列した。その後は議政官として大蔵卿を長く兼帯し、近江守・播磨守・大和権守と引き続き地方官も兼任した。この間、天慶4年(941年)正四位下に昇叙され、天慶5年(942年)には宿禰姓から朝臣姓に改姓されている。
村上朝の天暦4年(950年)正月に従三位に叙せられるが、同年10月参議を致仕する。致仕後の天暦5年(951年)右大臣・藤原師輔の大饗に列している。天暦8年(954年)4月16日薨去。享年88。最終官位は大蔵卿前参議従三位。
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