伊藤頼時
戦国時代から安土桃山時代の武将 ウィキペディアから
伊藤 頼時(いとう よりとき)は、戦国時代から安土桃山時代の武将。石見吉見氏の家臣。父は伊藤実信。名前の表記は「伊藤頼辰」とも。
生涯
弘治元年(1555年)または弘治3年(1557年)[1]、吉見氏家臣である須子和泉守の嫡男として生まれる。同じく吉見氏家臣である伊藤実信の娘を妻とした[2]。
永禄12年(1568年)10月の大内輝弘の乱において伊藤実信が戦死した[3]が、実信には嗣子がいなかったため、頼時が婿養子として実信の後を継いだ[2]。
しかし、実父方の一族である須子某に遺恨があったことから、天正10年(1582年)8月20日または天正12年(1584年)10月7日に頼時は須子某を討ち果たしたが、相討ちとなり頼時も死去した[2]。享年28。嫡男の元利が後を継いだ[2]。
脚注
参考文献
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