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明治末から昭和前期の教育者、政治家 ウィキペディアから
伊藤 恭一(いとう きょういち、1888年(明治21年)4月15日[1] - 1950年(昭和25年)3月16日[2])は、明治末から昭和前期の教育者、政治家。衆議院議員。
岐阜県[2]恵那郡付知村(付知町[3][4]を経て現中津川市付知町)で、伊藤文弥の三男として生まれる[4]。付知小学校卒業後、検定試験で准教員の資格を得て郷里の学校で教員を務め[3]、1910年(明治43年)3月、岐阜県師範学校を卒業した[2][3][4]。
加納小学校訓導に就任[3]。以後、付知小学校訓導、同校長、岐阜県視学、岐阜市白山小学校長、同市徹明小学校長などを歴任[3][4]。さらに、白山商工実修学校長、徹明商業青年学校長、岐阜県教員購買組合監事、同県国民学校長会副会長、大日本教育会岐阜県支部参与などを務めた[2]。
1946年(昭和21年)4月の第22回衆議院議員総選挙で岐阜県全県区から無所属で出馬して初当選[5]。1947年(昭和22年)4月の第23回総選挙で岐阜県第2区から民主党公認で出馬して再選され[6]、衆議院議員に連続2期在任した[2]。この間、国民党中央常任委員、国民協同党中央常任委員、民主党総務などを務めた[2][4]。
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