伊号第二百二潜水艦

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伊号第二百二潜水艦

伊号第二百二潜水艦[注釈 2](いごうだいにひゃくにせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦伊二百一型潜水艦の2番艦。太平洋戦争末期に竣工したが訓練に終始し、戦後アメリカに引き渡された。

概要 伊号第二百二潜水艦, 基本情報 ...
伊号第二百二潜水艦
Thumb
呉に入港中の伊202
(1944年12月中旬、沖)
基本情報
建造所 呉海軍工廠
運用者  大日本帝国海軍
艦種 一等潜水艦
級名 伊二百一型潜水艦
建造費 12,325,000円[1]
艦歴
計画 マル戦計画
起工 1944年5月1日
進水 1944年9月2日
竣工 1945年2月14日[注釈 1]
除籍 1945年11月30日
その後 1946年4月5日海没処分
要目
基準排水量 1,070トン
常備排水量 1,291トン
水中排水量 1,450トン
全長 79.0m
垂線間長 76.0m[2]
最大幅 5.80m
深さ 6.70m[2]
吃水 5.46m
機関 マ式1号8型過給機付内火機械x2基[3]
特E型1,250馬力電動機x4基[3][4]
推進 2軸
出力 水上:2,750bhp
水中:5,000shp
速力 水上:15.8kt
水中:19.0kt
燃料 重油:146トン[3][4]
航続距離 水上:14ktで5,800海里
水中:3ktで135海里
潜航深度 安全潜航深度:110m
乗員 定員36名[5]
特修兵教員最大29名[6]
兵装 九六式25mm単装機銃x2挺
九五式53cm魚雷発射管x4門(艦首4門)/九五式魚雷x10本
レーダー 22号電探x1基
電池:特D型x2,088基[4]
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艦歴

マル戦計画の潜水艦高、第4501号艦型の2番艦、仮称艦名第4502号艦として計画。

1944年5月1日、呉海軍工廠で起工。8月25日、伊号第二百二潜水艦と命名されて伊二百一型潜水艦の2番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定[7]。9月2日進水し、本籍を呉鎮守府に定められる[8]。10月1日、艤装員事務所を呉海軍工廠内に設置し事務を開始[9]

1945年2月11日、艤装員事務所を撤去[10]。14日竣工し、役務を呉鎮守府練習兼警備潜水艦に定められ、呉潜水戦隊第三十三潜水隊に編入[11][注釈 1]。同日、大竹に回航。16日から伊予灘で訓練に従事。20日、に帰投[12]

3月1日から広島湾で訓練に従事。6日、大竹に帰投。10日、呉に回航。4月30日まで呉に在泊[13]

4月10日、第三十三潜水隊から除かれ[14]第六艦隊第十一潜水戦隊に編入。30日から伊予灘で訓練に従事[15]

5月9日、呉に帰投。11日、単独訓練終了後の舞鶴回航と右舷機械の換装工事を指示される。13日から伊予灘で訓練に従事。22日、呉に帰投。23日から伊予灘で訓練に従事。28日、伊予灘での訓練を終了し舞鶴へ回航。30日、舞鶴着[16]。以後、舞鶴を基地として訓練に従事。

8月15日、第六艦隊第十五潜水隊に編入[17]。終戦時は舞鶴に所在。11月30日、海軍省の廃止に伴い除籍。

1946年4月5日、向後崎西方沖でアメリカ海軍により海没処分された。

潜水艦長

艤装員長
  1. 今井賢二 大尉:1944年9月15日[18] - 1945年2月14日[19]
潜水艦長
  1. 今井賢二 大尉:1945年2月14日[19] - 1945年11月29日[20]

脚注

参考文献

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