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今尾藩(いまおはん)は、美濃国安八郡(現在の岐阜県海津市平田町今尾)に存在した藩。藩庁は今尾陣屋[1]に置かれた。
今尾城を領していた市橋長勝は関ヶ原の戦いで東軍に与して功あり、戦後に所領を安堵された。慶長15年(1610年)、中村一忠の改易により長勝は伯耆矢橋藩へ転封され、元和5年(1619年)、竹腰正信が今尾陣屋を築いて入った。
竹腰家は宇多源氏の佐々木信綱を祖とする。竹腰道鎮は斎藤道三に仕え、その孫正信は徳川家康に仕えた。正信の生母はお亀の方で、尾張徳川家の祖となった徳川義直は正信の異父弟である。慶長6年(1601年)、正信は甲斐国内に5000石を与えられ、慶長12年(1607年)に成瀬正成と共に義直の御附家老となった。その後、新たに尾張で5000石を加増され、合計1万石を領した。慶長16年(1611年)に尾張藩の執政を務めていた平岩親吉が死去すると、正信はその後を受けて尾張藩の執政を任された。また、正信は名古屋城築城に尽力し、自らが砲術に長けていたことを家康の前で披露して褒め称えられたことから、1万石を加増された。元和5年(1619年)にはさらに1万石を加増されて3万石の大名となった。以後、竹腰家は尾張藩の御附家老として代々、尾張藩主を補佐した。ただし、幕府時代は正式に藩としては認められず、正式に認められて立藩したのは、明治元年(1868年)1月27日の明治政府の計らいによるものである。このとき、今尾藩は同年10月に義直から下された1万石を返上している。そして明治2年(1869年)6月23日、版籍奉還を行なった。
外様 1万石
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