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人口登録法(じんこうとうろくほう、英語: Population Registration Act)は、かつて施行されていた南アフリカ連邦の法律。同国の住民を人種による分類に基づく登録を義務付ける法であり、アパルトヘイトのシステムの一部である[1][2][3]。
居住権、選挙権、教育、経済など、生活にかかわるものは全て人種分類により決められた。人口登録法では住民を3通りに分けた:黒人、白人、そしてカラード(混血)である。後に「歴史的に国への権利がない」として印僑(インド系移民)も追加された。
同法での分類の補佐として、人種分類局(英: Office for Race Classification)が設立された。分類の準則は見た目、経済地位などで決められ、実際の人種と必ずしも等しいとは限らない。例えば、同法は白人の定義を「見た目が明らかに白人であり、一般的には有色人種とみなされない人;または、一般的には白人とみなされ、見た目が明らかに白人でない人」としている[2]。これは経済地位で人種分類を決めるための抜け穴である。分類の変更も多く、そのための委員会も設立された。例えば、カラードと白人の区別の準則には下記がある[2]:
1949年に成立した雑婚禁止法(白人と非白人による婚姻の禁止)、1950年に成立した背徳法(白人と非白人の性行為の禁止)とともにアパルトヘイト体制を支える法のひとつとなった。
後の法改正でカラードと印僑がさらに細かく分けられ、ケープマレー、ケープカラード、グリクワ族、華僑、印僑、他のアジア人、他のカラード、といった分類が追加された[4][5]。
1991年6月17日、南アフリカ共和国議会が人口登録法廃止法を賛成多数で可決し、人口登録法が廃止された。しかし、人種分類は南アフリカ共和国の文化に根深く残り[6][7]、過去の差別を正すための施策や統計を影響している[8][9]。
英語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります:Population Registration Act, 1950
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