井上英沖
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手塚治虫のアシスタントを経て、1959年『テレビ小僧』を「おもしろブック」に発表し、商業誌デビュー。 1964年には横山光輝、馬場秀夫、宮腰義勝、岸本修らと光プロダクションを設立。代表作に、アニメ化された『遊星少年パピイ』(原作:吉倉正一郎、『少年』連載)がある。他に『サンダー7』があり、『宇宙パトロールホッパ』や『サンダーバード』など、テレビ作品のコミカライズに多く携わる[1]。
『パピイ』のヒットにより、莫大な収入を得たが遊興費などに散財し、その後は多額の所得税の未払いなどから逃げ回るような生活だった。私生活ではクラブ歌手をしていた女性と結婚し、子供にも恵まれたが、仕事が無くなったことで妻は子供を連れて井上の元を去り、その後は四畳半一間のアパートに独り暮らしだった。そうした暮らしぶりの中、編集プロダクションから仕事をもらい、ソノシートのイラスト描きなどで細々と収入を得、ある程度貯まると独りで旅に出る生活だったが、その最期は自室での孤独死だった[2]。
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