五月 真理矢(さつき まりや、1958年5月3日[2] - )は、日本の映画監督、プロモーションビデオ監督、コラムニスト[1]、DJ[1]、元・女優。旧名は五月マリア(さつき マリア)。
概要 さつき まりや 五月 真理矢, 生年月日 ...
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1958年、東京の広尾に生まれる。義父は詩人の金井直[1]。
1976年、洗足学園大学高等学校を卒業後、劇団昴の研究生になる[2]。女優デビューし、多数のピンク映画に出演。1982年、23歳の時に小水一男監督の推薦により『変態若妻責め』で監督デビュー[2]。プロモーションビデオの演出も手掛ける。
監督
- 変態若妻責め(1983年、新東宝映画)[3][4]
- さよなら朝霧友香 濡れてBYE BYE(1983年、東映ビデオ)[2]
- シングル・ガール ひとり寝の指(1984年、ミリオンフィルム)[2][4][5]
- オリーブ少女の恋 東山絵美(1987年、にっかつ)[2][6]
プロモーションビデオ
- プリンセス・プリンセス・デビューPV(1985年)[2]
- 願い、祈り、詩・アントニオガウディ(1985年)[2]
出演
- マリアの告白 少年狩り(1980年、ミリオンフィルム)[4]
- 女高生若い獣たち(1980年、大蔵映画)[4]
- 少女娼婦(1980年、新東宝)[4][7]
- (秘)盗聴 しゃぶり泣き(1980年、ワタナベプロ)[4]
- 少女暴性族(1980年、大蔵映画)[4] - 主演
- 少女悶絶(1980年、大蔵映画)[4] - 主演
- 若妻暴行 喘ぐ(1980年、ミリオンフィルム)[4][7]
- 浮気な人妻 金曜日の誘惑(1980年、新東宝映画)[8]
- ニッポン痴漢列島(1981年、ミリオンフィルム)[4][9]
- セックスショック 乱暴(1981年、大蔵映画)[4]
- 赤い娼婦 突き刺す(1981年、ミリオンフィルム)[4]
- 悶えて濡れて(1981年、新東宝映画)[4]
- 暴行壺あらそい(1981年、大蔵映画)[4]
- セミドキュメント 覗かれて濡れる(1981年、現代映像企画)[4]
- 団地妻 今夜も狂わせて(1981年、ミリオンフィルム)[4]
- 女教師 スキャンダル(1981年、ミリオンフィルム)[4]
- 拷問性奴隷(1981年、新東宝)[4]
- セックスドキュメント くい込む(1981年、ワタナベプロ)[4]
- カレッジギャル 暴行失神(1981年、大蔵映画)[4]
- 強烈セックス 欲情看護婦(1981年、新東宝)[4] - 主演
- キャッチガール 舌戯悶絶(1981年、ミリオンフィルム)[4]
- 痴漢電車 発射オーライ(1981年、新東宝)[7]
- 痴漢電車 いたずらな指(1982年、現代映像企画))[7]
- バイオレンス・ポルノ 縄と暴行(1982年、ミリオンフィルム)[4]
- 暴行性犯罪史 処刑(1982年、新東宝映画)[4]
- バイオレンス・ポルノ 縄姦(1982年、ミリオンフィルム)[4]
- 刺青女を縛る 蛇と牡丹(1982年、新東宝映画)[4]
- ミミズのうた(1983年、自主映画、佐野和宏監督)[4][7][9]
- 女狩り集団凌辱(1985年、新東宝映画)[4]
著作
- こんな男と寝てみたい―女の性感帯教えます(壱番館書房)1982年5月 ASIN B000J7N574 - 五月マリア名義[10]
- アポトーシスの寓話 虫駕籠より(活字文芸誌ZOWV10号・12号、2007年 - 2008年)[11]
五月真理矢(協同組合日本映画監督協会)2019-01-10閲覧
円尾敏郎『日本映画ポスター集 ピンク映画篇』(ワイズ出版) p.128