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丸山 孝彦(まるやま たかひこ、1946年11月14日 - )は、福岡県京都郡勝山町大字上黒田(※現役当時、現・同郡みやこ町勝山上黒田)出身で時津風部屋に所属した元大相撲力士。本名同じ。最高位は東前頭13枚目(1976年1月場所)。得意手は右四つ、上手投げ、寄り。現役時代の体格は183cm、117kg[1]。
中学卒業後、元横綱・双葉山が率いる時津風部屋に入門し、1962年5月場所にて15歳で初土俵を踏んだ。同期の初土俵組には、後の前頭・朝岡らがいる。序ノ口当初より、本名でもある「丸山」の四股名で相撲を取った[1]。
その後、1968年3月より「純光(よしみつ)」に改名したが、1年ほどで元の「丸山」の名に戻している。同年以来幕下上位に定着し、1970年7月場所では、同部屋の後輩である長浜(後の小結・豊山)と幕下優勝を争った(決定戦で敗れ、惜しくも優勝は逸している)。翌場所十両に昇進したが、4場所で幕下に陥落。その後は幕下22枚目まで下がった事もあったが、1972年9月場所で十両へと復帰した。
以降は幕下へ落ちる事もなく、1973年5月場所で新入幕。だが、前場所終盤で負傷した右膝の状態が思わしくなく、晴れの新入幕場所を全休する事態に陥った。幕内での公傷制度適用第1号となった[1]ため十両落ちは免れたが、幕内2場所目の7月場所では4勝11敗と大敗した。
その後は幕下30枚目まで番付を下げながらも徐々に盛り返し、1976年1月場所で再入幕を果たした。しかし、和錦との対戦で左足と肋骨を痛め、14日目より休場。結局、膝の古傷とこの怪我で力士生命を縮める事となってしまった[1]。
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