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群馬県太田市にある神社 ウィキペディアから
世良田東照宮(せらだとうしょうぐう)は、群馬県太田市世良田町にある神社。「東照大権現」としての徳川家康を祭神とする東照宮の1つである。1617年(元和3年)に駿河国久能山(久能山東照宮)より下野国日光(日光東照宮)へ家康の遺骸を改葬した際に建てられた社殿を、1644年(寛永21年)に上野国世良田へ移築し、創建された。太田市内の他の社寺、館跡とともに「新田荘遺跡」として国の史跡に指定されている。
この地は新田氏の開祖・新田義重の居館跡とされ[要出典]、隣接する長楽寺は義重の供養塔もあり、歴代新田氏本宗家惣領が厚く庇護を与え、大いに栄えていた。関東に入った徳川氏は、新田氏から分立したこの地を発祥地とする世良田氏の末裔を自称していたため、徳川氏ゆかりの地ともされた。
世良田東照宮は寛永16年(1639年)ごろ、長楽寺の再興に取り組んでいた天海に、3代将軍・徳川家光が命じて創建させたものであるという。当時家光は日光東照宮の造替を行っており、徳川秀忠が造営した日光東照宮奥社の社殿を世良田に移築したとされている。寛永19年(1642年)ごろから工事を開始し、本殿の新築、神廟(本地塔)・拝殿・唐門の移築を完了し寛永21年(1644年)10月11日に遷宮が行われた[1]。遷宮時には後水尾上皇の勅額の下賜を受けた[2]。
江戸時代には神領200石を与えられ、歴代将軍によってしばしば修繕が行われた[3]。修復にあたり参拝する幕府役人は、御目身以上は拝殿廊下、御目身以下は拝殿階下で拝礼した[4]。
1875年(明治8年)[要出典]、神仏分離によって長楽寺から分離し、1877年(明治10年)に村社、1879年(明治12年)に郷社に列格した[5]。
建造物
工芸品
倉賀野宿で中仙道から分岐する日光例幣使街道の境宿と木崎宿のほぼ中間地点にある。
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