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日本の華族 ウィキペディアから
三条 公輝(さんじょう きんてる、明治15年(1882年)12月2日 - 昭和20年(1945年)11月10日)は、明治から昭和戦前期にかけての華族、貴族院議員。公爵。東京帝国大学法科大学政治科卒業[1]。
三条実美の三男。母は鷹司輔煕の九女・治子。1892年(明治25年)に分家、男爵に叙爵。 しかし、実美の遺産は僅かで本家ともども窮乏。三条家に恩義がある尾崎三良が見かねて山縣有朋に掛け合い、宮内省から思召しとして1万円の公債を得ている[2]。
1924年(大正13年)、甥・三条実憲(1902-1924)の急逝を受けて三条家の家督を相続し、公爵となる。貞明皇后と香淳皇后に仕え、宮内省皇后宮主事、皇太后宮事務官を歴任し、1933年(昭和8年)に掌典長に就任し、のち御所歌長を兼ねた。貴族院議員としては、1924年(大正13年)6月16日より[3]、1945年(昭和20年)62歳で没するまでその籍にあった[4]。
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