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日本の愛媛県西宇和郡にあった村 ウィキペディアから
三島村(みしまむら)は、1954年(昭和29年)まで愛媛県西宇和郡にあった村である。
現在の西予市の最西部に位置する農漁村であった。昭和の合併で三瓶町、さらに平成の合併で西予市となり現在に至っている。
現在の西予市の最西部。西は宇和海に面しており、北は三瓶町に、東は東宇和郡宇和町に、南は高山村に接しているが、東と南は山々が広がっている。
藩政期
明治以降
三島村の系譜 (町村制実施以前の村) (明治期) 町村制施行時 朝立 ━━━━┓ 津布 ━━━━┫ 町制施行(大正10年9月3日) 安土 ━━━━╋━ 三瓶村 ━━━ 三瓶町 ━━┓ 有綱代 ━━━━┛ ┃ ┃ 周木 ━━━━┓ ┃ 二及 ━━━━╋━ 二木生村 ━━━━━━━━━┫ 垣生 ━━━━┛ ┃ ┣━━ 三瓶町 有太刀 ━━━━┓ ┃(昭和30年1月1日) 蔵貫 ━━━━┫ ┃ 皆江 ━━━━╋━━ 三島村 ━━━━━━━━━┫ 下泊 ━━━━┛ ┃ 双岩村大字和泉及び布喜川の一部 (注記)三瓶町の平成の合併の系譜については、三瓶町の記事を参照のこと。
明治の合併前の村である、有太刀浦(あらたちうら)、蔵貫浦(くらぬきうら)、蔵貫村(くらぬきむら)、皆江村(みなえむら)、下泊浦(しもどまりうら)の5つの旧村がそのまま大字となった。蔵貫浦が村の中心地であった。
鉄道はない。海岸線に沿っている村道(後の主要地方道八幡浜三瓶吉田線、今日の国道378号)が、昭和初期に三瓶町との間に開通した。昭和20年代末に八幡浜市と結ぶ路線バスも開通した。
当村を含む宇和海沿岸の浦は、海上交通が重要な役割を担い、明治40年代には宇和島運輸の八幡浜-宇和島航路が各浦に寄航していた。
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