万徳院
山口県岩国市にある真言宗の寺院 ウィキペディアから
山口県岩国市にある真言宗の寺院 ウィキペディアから
万徳院(まんとくいん)は、真言宗の寺院。正式名称は福光寺万徳院。ここではその前身である安芸国大朝舞綱の万徳院(万徳院跡歴史公園)についても記述する。
万徳院 | |
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所在地 | 山口県岩国市横山3-9-1 |
位置 | 北緯34度10分37.3秒 東経132度10分39.7秒 |
宗旨 | 真言宗 |
創建年 | 慶長5年(1600年)頃 |
開基 | 吉川広家 |
正式名 | 福光寺万徳院 |
法人番号 | 1250005006173 |
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに敗れた毛利家は周防・長門国へと減封され、重臣であった吉川家当主吉川広家も周防国岩国へと転封された。吉川氏の本領であった安芸国大朝荘にあった万徳院(後述)を岩国に移転させ、真言宗の寺院とした。慶長11年(1606年)に死去した吉川元春正室新庄局もこの寺に埋葬された。その後は岩国領主吉川家の保護を受け、現在まで続いている。
岩国万徳院の前身は、吉川元春の嫡男吉川元長が天正3年(1575年)頃、安芸国大朝(現広島県山県郡北広島町大朝)に建立した諸宗兼学(宗派関係無くともに学ぶ)の寺院であった。創建当初は本堂と庫裏だけしか存在しなかったが、元長の別邸として利用され、元長の心の支えとなった。元長死後、弟の吉川広家が菩提寺へと改修、石垣や庭園を増築した。吉川広家正室で宇喜多直家娘の容光院も死後、この寺に埋葬された。
慶長5年(1600年)、吉川氏の岩国転封により万徳院は岩国へと移転し、寺跡は放置されて廃墟となった。その後、荒れるがままの状況であったが、昭和61年(1986年)8月28日に「吉川氏城館跡」の一部として国の史跡に指定[1]、平成3年(1991年)から広島県教育委員会によって発掘調査が行われ、その後整備を経て現在は歴史公園となっている。平成9年(1997年)9月2日に史跡「吉川氏城館跡」の指定範囲が追加された。
境内跡地には本堂、庫裏、風呂屋、庭園があり、石垣、石段、参道が残り、吉川氏の興隆を偲ばせる。また、整備にともない本堂の規模を原寸大に再現したガイダンスホールや、1月・2月・12月を除く毎月第3日曜に蒸風呂体験が行われている風呂屋が復元されている。
庭園は本堂の北側に霊屋と坪庭風小庭、西側に池庭を配しており、鑑賞主軸を2方向持っていたと推定される。平成14年(2004年)9月20日に、 国の名勝に指定されている。
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