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ルルデス・グリエル

キューバの野球選手 (1957 - ) ウィキペディアから

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ルルデス・グリエル・デルガド(Lourdes Gourriel Delgado, 1957年3月9日 - )はキューバ野球選手及び野球指導者[1][2]現役を退いてからは、ニカラグア野球チームや、自身がかつて所属していたガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥス監督を歴任している。

概要 基本情報, 国籍 ...
概要 オリンピック, 男子 野球 ...

ニックネームは「デ・パルマの英雄」。

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経歴

1976年から1996年まで20年間選手として活躍[3] [4][5]。現在でもガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥスの記録として破られていない。選手としての成績は、2026安打打率.323、247本塁打[4]

アマチュア選手として日本社会人野球でも活躍。1996年阿部企業硬式野球部兵庫県神戸市)に入団[6]1998年いすゞ自動車硬式野球部神奈川県藤沢市)へ移籍。同年の都市対抗野球では「4番・指名打者」として1本塁打を放つなどの活躍でチームを5年振り4度目のベスト8へ導いている[6][7]

ワールドポート・トーナメント後に現役を引退し、ガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥスの監督に就任。2007年までの7シーズン監督を務める。監督成績は381勝295敗。リーガ・ニカラグエンセ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルブール・インディオズの監督も2シーズン務めた[8]

国際野球大会での活躍

野球キューバ代表として1980年の第26回世界野球選手権と1989年IBAFインターコンチネンタルカップでの金メダル獲得に大きく貢献し、バルセロナオリンピック1992年)ではオマール・リナレスアントニオ・パチェコオレステス・キンデランビクトル・メサホセ・デルガドなどらと共にスタメンとして金メダルを獲得するなど、10年以上にわたってキューバ代表チームでプレーする。

家族

はオルガ・リディア。弟も元ガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥス所属の野球選手ルイス・エンリケ・グリエルバルセロナ大会でのチームメイトのホセ・デルガドは叔父にあたる。24歳の時に生まれた長男はユニエスキ・グリエル、27歳の時に生まれた次男はユリ・グリエル。更に下に息子ルルデス・グリエル・ジュニアがおり、全員が野球選手になっている[9]

脚注

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関連項目

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