ラ・テュルビー

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ラ・テュルビーmap

ラ・テュルビーLa Turbie)は、フランスプロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏アルプ=マリティーム県コミューン

概要 La Turbie, 行政 ...
La Turbie
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行政
フランス
地域圏 (Région) プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏
(département) アルプ=マリティーム県
(arrondissement) ニース郡
小郡 (canton) ヴィルフランシュ=シュル=メール小郡
INSEEコード 06150
郵便番号 06320
市長任期 ニコラ・バサーニ
2008年 - 2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté d'agglomération de la Riviera française
人口動態
人口 3165人
2008年
人口密度 43人/km2
住民の呼称 Turbiasques
地理
座標 北緯43度44分47秒 東経7度24分06秒
標高 平均:m
最低:146m
最高:658 m
面積 7.42km2
Thumb
La Turbie
公式サイト Site officiel de la commune
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地理

ラ・テュルビーは、ジェノヴァからニースのシミーズ地区に向けて伸びるユリア・アウグスタ街道(en)の最高地点にある。モナコの上部450m、テト・ド・シアン(fr)にある。モナコ国境と接する。

テト・ド・シアンからの眺めはイタリア沿岸のボルディゲーラからエストレル山地に及ぶ。

歴史

紀元前1世紀までにアルプスはローマによって平定されていた。紀元前25年から紀元前13年までにアウグストゥス帝はアルプスの民をローマの権威に従わせていた。アルプスに平和をもたらしたアウグストゥスをたたえ、トロパエム・アルピウム(en)が紀元前6年に建てられた。ローマ街道を行く商人を襲っていた、山地に暮らすリグリアの各部族に対する勝利の塔は、そこがローマとガリアの境であることを示していた[1] · [2]。一帯はローマの軍事上の県が置かれ、ローマ皇帝の直轄地になった。イタリアとスペインとを結ぶユリア・アウグスタ街道は経済・軍事上重要な道だった。

1191年、神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世はコンダミーヌ地区の数エーカーおよびラ・テュルビーに属した岩山の主権をジェノヴァ共和国に授けた。この地が現在のモナコである。1215年6月10日、フルク・デ・カステッロ率いるギベリンは離脱し、モナコの岩山の上に要塞建設を開始した。この日付はモナコ大公国の近代史の始まりを示す。

ラ・テュルビーは、かつてボーソレイユカップ=ダイユも含む1つのコミューンだったが、20世紀初頭に3つのコミューンに分離した。

人口統計

さらに見る 1962年, 1968年 ...
1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
1522 1761 1826 1969 2609 3021 3155[3]
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史跡

  • アウグストゥスのトロパエウム・アルピウム
  • サン・ミシェル教会 - 18世紀のバロック様式教会

姉妹都市

脚注

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