ラ・セル=サン=クルー
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ラ・セル=サン=クルー (La Celle-Saint-Cloud)は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、イヴリーヌ県のコミューン。パリ16区ポルト・ドートゥイユから12km離れている。
La Celle-Saint-Cloud | |
---|---|
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行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | イル・ド・フランス地域圏 |
県 (département) | イヴリーヌ県 |
郡 (arrondissement) | サン=ジェルマン=アン=レー郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 78126 |
郵便番号 | 78170 |
市長(任期) |
オリヴィエ・ドゥラポルト (2008年-2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes des Coteaux de Seine |
人口動態 | |
人口 |
20 870人 (2008年[1]) |
人口密度 | 3 586人/km2 |
住民の呼称 | Cellois |
地理 | |
座標 | 北緯48度50分28秒 東経2度08分04秒 |
標高 |
最低:75 m 最高:176 m |
面積 | 5.82km2 (752ha) |
公式サイト | www.lacellesaintcloud.fr |
ラ・セル=サン=クルー市街は、南のヴェルサイユ平野を背後にしたドリオーヌ谷に主にある。サン=ジェルマン=アン=レーの南東約8マイル、ヴェルサイユの北約6マイルに位置する。
市街は東部にあるエリゼ2(1963年完成の大規模集合住宅)や、南のボールガール地区のような建築群で高度に都市化されている。しかし南部と西部には広域な森林が保存されている。
ラ・セルの名が最初に現れるのは697年、サン=ジェルマン=デ=プレ修道院の死亡記事においてで、村の名はCella fratrumとされていた。7世紀以降、村は上記の修道院の領地であった。846年にはヴァイキングが村を襲撃した。
1683年、ジャン=バティスト・コルベールは、ヴェルサイユに面した荘園をサン=ジェルマン=デ=プレ修道院から購入し王家の狩猟地を広げるためラ・セルの村を買った。
人口が急増したのは、第二次世界大戦後の復興期からである。
1955年11月6日、当時の首相アントワーヌ・ピネーは、亡命していたモロッコのスルタンムハンマド(のちのモロッコ王ムハンマド5世)とラ・セル=サン=クルーにて協定を結んだ。協定の内容には、ムハンマドの叔父ムハンマド・イブン・アラファから実権を取り戻し帰国することが盛り込まれていた。この協定はモロッコ独立に向けた通過地点ともなった。
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