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ドイツの衣装デザイナー (1937-) ウィキペディアから
ユルゲン・ローゼ(ドイツ語: Jürgen Rose、1937年8月25日 - 、ベルンブルク、ザーレ)は、ドイツの舞台美術家、衣装デザイナー、オペラ演出家である。
オーデンヴァルトの学校を卒業した後[1]、1957年から1959年までの間、ダルムシュタット州立劇場において、グスタフ・ルドルフ・ゼルナーとフランツ・メルツの元で研修を終える。その後、1959年にベルリン芸術大学(Berliner Hochschule für Bildende Kunst(HBK)、現在の名称はUniversität der Künste Berlin(UDK))で学ぶ。また、ベルリンにある名門の演劇学校であるマルリーゼ・ルードヴィヒの私塾にも通っていた。
1959年/60年シーズンには、ウルム劇場で初めて舞台美術家及び俳優として製作に携わる。1961年、シュトゥットガルトの演劇場でシェイクスピアの『お気に召すまま』の装置係として採用されるが、この劇場で知り合ったのがバレエダンサー・振付家のジョン・クランコであった。クランコは当時駆け出しの芸術家であったローゼのデザインから強い印象を受け、自身の演劇的バレエの美術をローゼに任せる決断をする[2]。ローゼとクランコの共同作業は、1962年のシュトゥットガルト・バレエ団の『ロメオとジュリエット』から始まり[3]、1973年にクランコが死去するまで続いた(特にミュンヘンのバイエルン国立歌劇場においてクランコのために舞台美術と衣装デザインを担当していた。同歌劇場では、1972年にはジョン・ノイマイヤーのバレエ作品のためのデザインも行っている)。
1961年から1964年までの間ミュンヘン室内劇場で勤めた後、1965年以降、ローゼはフリーランスの舞台美術・衣装デザイナーとしての活動を開始する。1970年からは、オペラ用の舞台装置の製作も手がけ、ミュンヘン(2001年まで室内劇場、レジデンツ劇場、バイエルン国立歌劇場)、ベルリン(州立演劇場)、シュトゥットガルト(州立劇場)、ハンブルク(ハンブルク州立歌劇場、ドイツ・シャウシュピール・ハウス)、ドレスデン(ゼンパー・オーパー、 ウィーン国立歌劇場、スカラ座、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス、パリ国立オペラ、ニューヨークのメトロポリタン・オペラ、バイロイト音楽祭、ザルツブルク音楽祭といった場所で仕事を行った。
ドイツ国内外のあらゆる大劇場から演劇、オペラ、バレエに関する依頼を受け、製作に携わったプロダクションの数は300を超える[4]。ジョン・クランコやジョン・ノイマイヤーといった振付家、ルドルフ・ネルテ、ハンス・リーツァウ、ゲッツ・フリードリヒ、オットー・シェンク、ペーター・シュタイン、トーマス・ラングホフ、そしてディーター・ドルンといった演出家らと共に舞台製作に当たっている。
1994年には、ボンでオペラ演出家としてデビュー。
1973年から2000年まで、ローゼはシュトゥットガルト州立芸術アカデミーで舞台美術の教授を務める。ここでローゼの指導を受けた著名な卒業生には、舞台美術家・画家のロザリエがいる[5]。1975年から、ローゼはベルリン芸術アカデミー(ベルリン統一後。1993年まで西ベルリン)舞台芸術部門のメンバーとなっている。現在はミュンヘンに居住している。
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