ユリア・ペチョンキナ

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ユリア・ペチョンキナ

ユリア・ペチョンキナ (ロシア語: Юлия Сергеевна Печёнкина[1]1978年4月21日-)は、ロシアの陸上競技選手。旧姓はノソワ。女子400メートルハードルの元世界記録保持者である。また、室内の4×200mリレーでも1分32秒41の世界記録を保持している[2]

概要 ユリア・ペチョンキナ, 選手情報 ...
ユリア・ペチョンキナ
2007年世界選手権におけるペチョンキナ
選手情報
フルネーム ユリア・セルゲイェヴナ・ペチョンキナ
国籍 ロシア
種目 400メートルハードル
生年月日 (1978-04-21) 1978年4月21日(46歳)
生誕地 ロシアクラスノヤルスク
身長 176cm
体重 66kg
自己ベスト
400mハードル 52秒34(2003年)
獲得メダル
陸上競技
世界選手権
2005 ヘルシンキ400mH
2005 ヘルシンキ4x400mR
2001 エドモントン400mH
2003 パリ4x400mR
2007 大阪400mH
2001 エドモントン4x400mR
2003 パリ400mH
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2001年世界選手権男子110メートルハードルで決勝進出の実績があるハードラー、エフゲニー・ペチョンキンと結婚したが、2006年に離婚している。

経歴

ペチョンキナが初めて臨む世界大会は、2000年シドニーオリンピックであったが、このときは準決勝で敗退している。翌年の世界選手権ではネザ・ビドゥアンモロッコ)に次いでフィニッシュし、銀メダルを獲得した。

2003年の世界選手権直前の8月に、キム・バッテンアメリカ)が保持していた当時の世界記録(52秒61)を大きく更新する52秒34の世界新記録を樹立した。世界選手権では優勝候補筆頭と目されていたが、ヤナ・ローリンソンオーストラリア)らに敗れ、銅メダルであった。また、翌年のアテネオリンピックの決勝では、終盤に勝負を諦めたのか大きく失速し、8位に終わった。

2005年の世界選手権では52秒90の好タイムで優勝を果たした。この大会では4×400mリレーも制し、2冠を達成した。連覇を狙った2007年の世界選手権では、ローリンソンに再び敗れ、雪辱を果たせず銀メダルであった。

副鼻腔炎を患い、北京オリンピックおよび2009年世界選手権への出場を辞退している[3]。世界選手権終了後の2009年9月、健康上の理由から引退を表明した[4]

主な実績

さらに見る 年, 大会 ...
大会 場所 種目 結果 記録
2001 世界室内選手権 リスボンポルトガル 4×400mリレー 1位 3:30.00
2001 世界選手権 エドモントンカナダ 400mハードル 2位 54.27
2001 世界選手権 エドモントン(カナダ) 4×400mリレー 3位 3:24.92
2002 ワールドカップ マドリードスペイン 400mハードル 1位 53.74
2003 世界室内選手権 バーミンガムイギリス 4×400mリレー 1位 3:28.45
2003 世界選手権 パリフランス 400mハードル 3位 53.71
2003 世界選手権 パリ(フランス) 4×400mリレー 2位 3:22.91
2004 オリンピック アテネギリシャ 400mハードル 8位 55.79
2005 世界選手権 ヘルシンキフィンランド 400mハードル 1位 52.90
2005 世界選手権 ヘルシンキ(フィンランド) 4×400mリレー 1位 3:20.95
2005 ワールドアスレチックファイナル モンテカルロモナコ 400mハードル 2位 53.80
2006 ワールドカップ アテネギリシャ 400mハードル 1位 53.88
2006 ワールドカップ アテネ(ギリシャ) 4×400mリレー 3位 3:21.21
2007 世界選手権 大阪日本 400mハードル 2位 53.50
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自己ベスト

  • 400m - 53秒22 (2001年7月1日)
  • 400mハードル - 52秒34 (2003年8月8日)

外部リンク

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