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モルディブ人民党(モルディブじんみんとう、Dhivehi Rayyithunge Party)は、かつて存在したモルディブの政党。
2005年当時の大統領であるマウムーン・アブドル・ガユームが、多党制への移行に備えて創設した政党である。2008年大統領選挙にもDRP候補としてガユームが臨んでいる。第1ラウンドではガユームが1位通過したが、第2ラウンドでは、第1ラウンド2位のモルディブ民主党(MDP)候補モハメド・ナシードを敗退した有力候補たちが支持したため、逆転で敗北を喫した。
翌2009年の国民議会選挙では、DRPは野党ながら議会第1党の地位を獲得している。しかし、ガユーム後任としてDRP党首となったアハメド・タスミーン・アリがガユームの影響力を嫌い、両者で激しい党内闘争が展開されることになった[2]。権威の回復を図るガユームは2011年9月にDRPを離党し[2]、新党モルディブ進歩党(PPM)を結成した[3]。
2012年2月にナシードが軍・警察の事実上のクーデターにより大統領を辞任、後任に副大統領のモハメド・ワヒード・ハサンが昇格すると、タスミーン率いるDRPはワヒードを支持して連立与党となる。2013年大統領選挙でもワヒードを大統領候補として支持し、タスミーンが副大統領候補となった。しかしワヒードとタスミーンは有権者の支持を得られず、第1ラウンドで得票率僅か5.13%、最下位という惨敗を喫した。第2ラウンドでのDRPは、第1ラウンド1位だったMDPのナシード支持を表明したものの、ナシードはPPMのアブドラ・ヤーミンの前に敗れている。同年11月、惨敗の責任をとって党首を辞任したタスミーンは離党し、MDPに加入した[4]。
後任のDRP党首にはモハメド・“コロネル”・ナシードが就任したものの、DRPにはもはや有力政治家がほとんどいなくなってしまい、モルディブ政界での影響力も激減した。翌2014年の国民議会選挙では野党MDPと同盟しているが、全85選挙区のうち僅か6選挙区でしか立候補できず[5]、議席獲得もならなかった[6]。
2018年の国民議会選挙には参加せず、2023年はじめに党員3000人という法で規定された政党要件を満たしていないとして、選挙管理委員会から政党登録を取り消された[1]。
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