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ミャンマーの首相(ミャンマーのしゅしょう、မြန်မာနိုင်ငံတော် ဝန်ကြီးချုပ်)は、ミャンマーの実質的な政府の長たる首相である。なお憲法上の政府の長は大統領。
2008年憲法(現行憲法)の制定によって2011年に一旦廃止されたが、2021年の軍事クーデター発生にともない復活した。ただし、クーデター以降のミャンマーは政局が流動的になっており、クーデター勢力(ミャンマー軍)と反クーデター勢力(NLD等の民主派勢力)の双方が独自に首相を就任させ、論争状態となっている(後述)。
1948年の独立以降、ミャンマーの首相職はミャンマーの憲法によって存在が規定されて来た。
1947年制定の初代憲法では、首相は大統領の補助機関たる連邦政府(内閣の名称)の一員で、地域代表院(下院)の指名に基づいて大統領が任命しており、内閣閣僚たる国務大臣を指名する権限を有していた[1]。また、1974年制定の第二代憲法では、大臣17名で構成される閣僚組織(内閣)の間で選出され、国家評議会[2]の構成員の一人であった。1988年以降の憲法が効力を喪失していた時代でも首相は行政府の長として存在し、軍事政権の最高決定機関である国家平和発展評議会(SPDC)議長が任免権を有していた。
2008年制定の第三代憲法では、首相ポストが廃止されることになった。憲法施行の為の移行期間を経て、2011年3月30日にテイン・セインが大統領に就任すると共に首相ポストは消滅した。ただし、2016年3月30日に国民民主連盟(NLD)出身のティンチョーが大統領に就任すると、与党となったNLDは2016年4月6日に連邦議会で首相職と類似した国家顧問職[3]を新設する法改正を行っている[4]。
2021年2月1日のクーデター以降、首相職の扱いはクーデター勢力と反クーデター勢力とで対応が分かれている。
クーデター勢力のミャンマー軍はクーデター直後に国家行政評議会(国家統治評議会)を設置したが、一連の行為を憲法の規定に基づいた行為であると主張しているため、半年間ほど首相職を復活させなかった。しかし同年8月1日になって評議会議長のミン・アウン・フライン国軍最高司令官を暫定首相とする暫定政権の発足を発表した[5]。
一方の反クーデター勢力は、連邦議会代表委員会(CRPH)が3月2日に事実上の臨時政府となる臨時内閣を樹立した時点では首相職を復活させていなかった。だが、3月31日にCRPHが制定した「連邦民主憲章(英語: Federal Democracy Charter、ビルマ語: ဖက်ဒရယ်ဒီမိုကရေစီ ပဋိညာဉ်)」[6]で首相職の設置が明記されたため、4月16日に発足した国民統一政府(NUG)はクーデター前まで民族代表院(上院)議長を務めていたマン・ウィン・カイン・タンを首相に指名した。なお、「連邦民主憲章」では政府を構成する要員の一つとして国家顧問職も明記しており、こちらにはクーデター前に引き続きアウン・サン・スー・チーが指名されている[7][8][9][10][11]。
2021年ミャンマークーデター以降の状況については、国家行政評議会、連邦議会代表委員会(CRPH)及び国民統一政府(NUG)の状況をそれぞれ併記する。
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