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マリーケ・フェルフールト(Marieke Vervoort、1979年5月10日 - 2019年10月22日)は、ベルギーの女性車いすアスリート(車いす陸上競技 T52クラス)。パラリンピック金メダリスト。
14歳の時に反射性交感神経性ジストロフィー、進行性四肢麻痺の診断を受けた[2]。
車いすバスケットボール、水泳、パラトライアスロンなどに挑戦し、2006年と2007のパラトライアスロン世界選手権の女子ハンドサイクル部門(PC1クラス)において、優勝した[3]。2007年にはハワイで行われたアイアンマンレース(女子ハンドサイクル)に出場した[4]。その後、パラトライアスロンから転向し、ブローカートや車いす陸上競技を行うようになった[5]。
2012年ロンドンパラリンピックにおいて、T52クラスの100mで金メダルを、同200mで銀メダルを獲得した[6]。
2016年リオデジャネイロパラリンピックでは、T51/52クラスの400mで銀メダルを、同100mで銅メダルを獲得した[6]。
2019年時点では、400m、800m、1,500m、5,000mにおいて、世界記録(女子T52クラス)を保持していた[7]。
筋力が徐々に衰える進行性の脊髄疾患に苦しんでおり、治療は不可能とされており、痛みや発作で眠れないことがある状態だった[8]。自身の障害による苦痛などから、緩和ケアや安楽死[9]問題に携わるウィム・ディステルマンズ医師と出会い[2]、安楽死を選択するための承認を求め、2008年に書類にサインした[1]。
リオパラリンピックの大会中には、大会後に競技から引退し、安楽死を実行するとの報道で注目された[10]。記者会見では、「その時はまだ来ていない」と述べ、競技引退後すぐの安楽死を否定していた[11]。
2017年には日本に旅行で訪れ、交流会等にも参加している[2][12]。2018年には、競技用具等をベルギーのスポーツ博物館(蘭: Sportimonium)に寄贈し、特別展示会が開催された[13]。
鎮痛剤への依存や、入退院を繰り返す中、安楽死の実施が選択され、2019年10月22日に死去した[2][8]。死後、遺骨は彼女の希望でスペイン、カナリア諸島の海に散骨されたという[14]。
友人で写真家のリンジー・アダリオと、ニューヨークタイムズの記者アンドリュー・ケーは、最後の日々に密着取材した記事を公表した[2]。取材は本人の許可を得たものであったが、家族からは故人のプライバシーの問題についての懸念も示された[15]。
また、ポーラ・ラパポートにより、安楽死までの最後の3年間を追ったドキュメンタリー「Addicted to Life」(アメリカ・ベルギー 2022年)[16]が製作された[17]。日本でも「生きるこだわり 安楽死を選んだパラ金メダリスト」として、NHK、NHKBSで放映された(50分の再編集版)[14]。
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