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マヒシュマティ (IAST: Māhiṣmatī) は、現代のインドの中央部に位置した古代都市。カナ音写でマーヒシュマティーとも。現在のマディヤ・プラデーシュ州付近のナルマダー川のほとりに位置したとされるが正確な位置は判明していない。マヒシュマティの名はいくつかの古代の文献に残されており、ハイハヤの伝説的な王であるカールタヴィーリヤ・アルジュナによって支配されていたことが伝えられる。マヒシュマティはアヴァンティ国の南部において最も重要な都市であった。また、のちにはアヌーパ王国の首都として用いられた。パラマーラの碑文によれば、この都市は13世紀頃まで繁栄していたと考えられる。
都市の正確な位置は定かではないが古代インドの文献にはマヒシュマティについていくつか言及されており、その位置について以下のように伝えられる。
マディヤ・プラデーシュ州のナルマダー川沿いに位置するいくつかの都市が古代はマヒシュマティであったと主張されている。これらの主張は以下の通りである。
サンスクリットの叙事詩『ラーマーヤナ』ではマヒシュマティにおけるラークシャサの王ラーヴァナの攻撃について言及される[9]。巻13(アヌシャーサナ・パルヴァ)ではイクシュヴァーク家のダシャシヴァが王だと述べられ、続いてハイハヤの王カールタヴィーリヤ・アルジュナが地上の全てを首都のマヒシュマティから支配すると述べる (13:52)[2]。カールタヴィーリヤ・アルジュナはバルガヴァ・ラーマにより殺される[13]。
『マハーバーラタ』ではマヒシュマティはアヴァンティ国と対立する王国の一部として言及される[2]。巻2(サバー・パルヴァ)の第30章ではパーンダヴァのサハデーヴァがマヒシュマティを攻め、支配していたニラを破ったと述べられる[2]。マヒシュマティの王ニラはクルクシェートラの戦いにおいて指導者を務めたとされ、ビーシュマによってラティ (Rathi) と賞されたとも言及される。ニラの鎧の衣には青色が用いられていた (Mbh 5:19,167)。
『ハリヴァンシャ』 (33.1847) ではマヒシュマティを築いた人物をマヒシュマントと呼称される。この王はサハジャの息子で、ハイハヤを継承するヤドゥの子孫であるとされる。また、別の箇所ではラーマの祖先であるムチュクンダが開いたとされ、そこではこの人物がラクシャー山にマヒシュマティとプリカの都市を築いたと述べられる[2]。
『ラグ・ヴァンシャ』ではマヒシュマティはレヴァ川(ナルマダー川)にあり、アヌーパ王国の首都であったと述べられる[2]。
『パドマ・プラーナ』 (VI.115) によれば、マヒシャによって築かれたと明言されている[14]。
その他の記述では、カールタヴィーリヤ・アルジュナがナーガの長のカルコータカよりマヒシュマティを征服し、要塞都市としたとも伝えられる[15]。
仏典の『ディーガ・ニカーヤ』ではマヒシュマティはアヴァンティの首都であったと伝えられるが、『アングッタラ・ニカーヤ』ではウッジャインがアヴァンティの首都であったとも伝えられる[16]。マハーゴヴィンダ・スッタで伝わる物語でもまたマヒシュマティはアヴァンティの都であり、過去二十四仏の一が王であったと伝えられる。これらの記述から、一時的にウッジャインからマヒシュマティにアヴァンティの首都が遷されたとも解釈できる[2]。
『ディーパワンサ』ではマヒサと呼ばれる領域について、マヒサ・ラッタ (Mahisa-ratta, マヒサ国) として言及している。『マハーワンサ』ではこれらの地域はマンダラとして説かれ、マヒシャ・マンダラ (Mahisha-mandala) と呼ばれる。5世紀の学僧ブッダゴーサはこの領域をラッタム・マヒシャム、マヒシャカ・マンダラ、マヒシュマカと様々な名前で呼んだ。ジョン・フェイスフル・フリートはマヒシュマティはこれらの地域の都で、マヒシャと呼ばれる部族から名付けられたとの説を建てた。これは『マハーバーラタ』巻6(ビーシュマ・パルヴァ)中で南方(つまりヴィンディヤ及びナルマダーの南)の王国と説明されるマヒシャカと同じとみなされる[2]。
『スッタニパータ』ではバヴァリの弟子たちがウッジャインからプラティシュターナへ旅した際、マヒシュマティが中途の都市の一つだったと述べられる。サーンチーの碑文には、マヒシュマティからの巡礼がサーンチーのストゥーパを訪れたと記されている[2]。
テルグ語の『マハーバーラタ』でも記述が残されている[17]。これは(テルグ語で書かれた『アーンドラ・マハーバーラタ』中のサバー・パルヴァとも呼ばれる内の)アールヤーヴァルタの他の部分とは異なり、マヒシュマティでは民の婚姻は一般的では無く伝統的に行われていないというものであった。
6世紀から7世紀にかけ、マヒシュマティがカラチュリ王国の首都であったことが示唆されている[18]。
11世紀から12世紀にかけて現在のインド南部に存在した幾つもの王国の支配者たちはハイハヤの後継者であると主張し「素晴らしき都市マヒシュマティの主」と称し自らの土地の起源を示した[2]。
マヒシュマティはつい13世紀までは繁栄していた都市であったと考えられている。1225年の碑文ではパラマーラの王デーヴァパーラがマヒシュマティに滞在したことが刻まれていた[2]。
映画『バーフバリ 伝説誕生』『バーフバリ 王の凱旋』では架空の王国として描かれる[19]。
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