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マイケル・シュリーヴ[1](Michael Shrieve、1949年7月6日 - )は、アメリカ合衆国のドラマー、パーカッショニスト、作曲家。ロック・バンド、サンタナのドラマーとして最もよく知られており、1969年から1974年にかけてバンドの最初の7枚のアルバムで演奏した[2]。20歳の時、シュリーヴはウッドストックで演奏した2番目に若いミュージシャンであった。映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』における「Soul Sacrifice」での彼のドラム・ソロは「電撃的」と表現されている[3]が、1970年のタングルウッドにおける「Soul Sacrifice」でのドラム・ソロの方が優れていると自身では考えている[4]。
マイケル・シュリーヴ Michael Shrieve | |
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マイケル・シュリーヴ(2016年) | |
基本情報 | |
生誕 | 1949年7月6日(75歳) |
出身地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンフランシスコ |
ジャンル | ロック、電子音楽 |
職業 | ミュージシャン、作曲家 |
担当楽器 | ドラム、パーカッション |
活動期間 | 1965年 - |
共同作業者 | サンタナ、HSAS (ヘイガー、ショーン、アーロンソン、シュリーヴ)、ウェイン・ホーヴィッツ、ミック・ジャガー、ローリング・ストーンズ、ノボ・コンボ、バケットヘッド、ロジャー・ホジソン、ゴー |
公式サイト |
www |
シュリーヴの最初のフルタイム・バンドはグラス・メナジェリー (Glass Menagerie)[5]と呼ばれ、その後、R&Bクラブのハウス・バンドで経験を積み、B.B.キングやエタ・ジェイムズなどをツアー・ミュージシャンとしてサポートした。16歳のとき、シュリーヴはフィルモア・オーディトリアムでジャム・セッションを行い、そこでサンタナのマネージャーであるスタン・マーカムの注目を集めた。19歳の時、シュリーヴはレコーディング・スタジオでサンタナとジャム・セッションを行い、その日のうちに参加するよう招かれた[6]。
1969年8月16日、サンタナは、シュリーヴの20歳の誕生日の直後、そして彼らの名を冠したファースト・アルバム『サンタナ』 (1969年) のリリース前に、ウッドストック・フェスティバルに出演。その後、『天の守護神』 (1970年)から、『サンタナIII』 (1971年)、『キャラバンサライ』 (1972年)、『ウェルカム』 (1973年)、『不死蝶』 (1974年)、『ロータスの伝説』 (1974年)までサンタナに在籍した。『キャラバンサライ』の4曲では共同で作曲を行い、アルバムの共同プロデュースもしている[7]。
シュリーヴはオリジナル・サンタナ・バンドを脱退し、ソロ・プロジェクトを追求するようになった。ロンドンに移り、ギタリストのパット・スロール、ベーシストのドニ・ハーヴェイ、キーボーディストのトッド・コクラン (バイエテと名乗る) と共に1976年のアルバム『オートマチック・マン』をレコーディングした。ロンドンにいる間、シュリーヴはツトム・ヤマシタ、スティーヴ・ウィンウッド、アル・ディ・メオラ、クラウス・シュルツェとのフュージョン・スーパーグループ、ゴーの一員を務め、2枚のスタジオ・アルバム『ゴー』(1976年)と『ゴー・トゥー』(1977年)と、ライブ・アルバム『ゴー・ライヴ』(1976年)をリリースした[8]。
彼はバンド、HSAS (他のメンバーは、サミー・ヘイガー、ニール・ショーン、ケニー・アーロンソン) で演奏した[9]。その後、ロジャー・ホジソン (元 スーパートランプのメンバー)の最初のソロ・アルバム『愛なき嵐にむかって』でドラムを演奏した。
1979年から1984年まで、シュリーヴはクラウス・シュルツェ(別のドラマーで電子作曲家に転身)のサイド・プロジェクトであるリヒャルト・ヴァーンフリートでパーカッショニストとして共演し、1984年にシュルツェ自身が最初に電子音楽で携わった「ソロ」アルバムである『Transfer Station Blue』を一緒にレコーディングした。
シュリーヴは、ローリング・ストーンズの1980年のアルバム『エモーショナル・レスキュー』でパーカッションを演奏したことでも知られ、1984年にはミック・ジャガーのアルバム『シーズ・ザ・ボス』で演奏した。ジャガー、ナイル・ロジャース、シュリーヴがニューヨークのパワー・ステーションでアルバムのミキシングを行っていたとき、ジャコ・パストリアスがシュリーヴを階下のレコーディング・セッションに招待した。この録音は未発表のままである[10][11]。
1997年、シュリーヴは元サンタナのミュージシャン、ニール・ショーン、グレッグ・ローリー、ホセ・チェピート・アレアス、アルフォンソ・ジョンソン、マイケル・カラベロらと共に『アブラクサス・プール』をレコーディングした[12]。
シュリーヴは、デヴィッド・ビール、アンディ・サマーズ、スティーヴ・ローチ、ヨナス・エルボーグ、バケットヘッド、ダグラス・セプテンバー、フレディ・ハバードなどとも共演している。また、ジル・ソビュールのトッド・ラングレンによるアルバムでセッション・プレーヤーを務めている。
2004年、マイケルはRevolution Voidのアルバム『Increase the Dosage』の収録曲「The Modern Divide」に参加した。このアルバムは、クリエイティブ・コモンズのライセンス下でリリースされた[13]。
2010年4月現在、シュリーヴはワシントン州シアトルに住み、ダニー・ゴディネス、ジョー・ドリア、レイモンド・ラーセン、ファルコ・ドスモフと共にフュージョン・ジャズ・グループ、スペルバインダー (Spellbinder)で演奏している。
シュリーヴはいくつかの映画音楽を作曲しており、特にポール・マザースキーの『テンペスト』と『アポロ13』が有名である[14] 。
シュリーヴは現在、DW・コレクターズ・シリーズ・ドラムセットを演奏しており、最近、イスタンブール・アゴップ・シンバルのファミリーに加わった。ウッドストックの映像に見られるように、過去にはカムコ、プレミア、そして最も有名なルートヴィヒのセットを含む、他のさまざまなドラムセットを演奏してきた。また、セイビアンの長年のユーザーになる前に、初期の頃はジルジャン、後にパイステという両メーカーのシンバルを演奏に使用した。
1998年、シュリーヴはサンタナとの仕事によりロックの殿堂入りを果たした[15]。
2011年3月、『ローリング・ストーン』誌の読者は、シュリーヴを史上最高のドラマーで10位に選んだ[16]。
シュリーヴは、映画『ローリング・ストーンズ・イン・ギミー・シェルター』(1970年) に非常に短い出演をし、オルタモント・フリーコンサートで発生した暴力シーンについてをジェリー・ガルシアとフィル・レッシュに説明している。
シュリーヴは、1970年のドキュメンタリー映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』に出演し、サンタナによる「Soul Sacrifice」のパフォーマンス中にドラム・ソロを演奏した。
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