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HMS ベレロフォン(HMS Bellerophon)はナポレオン戦争当時のイギリス海軍の戦列艦(3等級74門艦)。ナポレオン・ボナパルトの降伏を受け入れたことで知られる。進水は1786年10月。当時の海軍大臣だった第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギューにはギリシャ・ローマ神話の趣味があり、本艦の名前も、ペガサスに乗って怪物キメラを退治したギリシャ神話の英雄ベレロポンにちなんで彼が名づけた。イギリス海軍でこの名を持った最初の艦である。
HMS Bellerophon, detail from Scene in Plymouth Sound in August 1815, an 1816 painting by ジョン・ジェームズ・シャロン | |
基本情報 | |
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建造所 | グレーヴス造船所(Frindsbury) |
艦歴 | |
発注 | 1782年1月11日 |
起工 | 1783年5月 |
進水 | 1786年10月6日 |
就役 | 1790年7月19日 |
退役 | 1815年9月13日 |
その後 | 1836年解体 |
改名 | キャプティヴィティ Captivity、1824年 |
要目 | |
全長 | 砲列甲板:168ft(51m) |
最大幅 | 46ft 9in(14.2m) |
吃水 | 19ft 9in(6.0m) |
機関 | 帆走(3本マストシップ) |
兵装 |
下砲列:32ポンド(15kg)砲28門 |
ベレロフォンは生涯、以下の3つの大きな海戦に参加している。
ワーテルローの戦い(1815年6月18日)に敗れたナポレオンは、6月22日に退位、ロシュフォール港からアメリカ亡命を図ったがイギリス艦隊の港湾封鎖にあってかなわず、7月15日、港外のエックス島において港を封鎖していたイギリスの戦列艦ベレロフォンに投降した。
艦長のフレデリック・ルイス・メイトランドは途中の寄港地でも一切上陸はおろか物売りの小舟を寄せ付けることすらせずにプリマスに向かったが、情報は途中で漏れ、7月31日にプリマスに着いたときはナポレオンが本艦に乗っていることはすっかり知れわたっていた。ナポレオンはここでも上陸を許されず、停泊しているベレロフォンには警備のために2隻の船がぴったり寄り添っていたという。
8月4日、ついにナポレオンのセント・ヘレナ島への配流が命じられる。ベレロフォンはプリマスから出港し、8月7日、護送を命じられた戦列艦ノーサンバーランドに沖合でナポレオンを引き渡した。ナポレオンはついに一歩も英国の地を踏むことはなかった。
1815年に現役を退いたベレロフォンは監獄船として使用され、1824年には「キャプティヴィティ」(Captivity ;「監禁」の意)と改名された。そして1836年1月12日に解体のために売却された。
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