プトラジャヤ
マレーシアの都市 ウィキペディアから
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プトラジャヤ(Putrajaya)は、マレーシアの行政新首都として開発中の連邦直轄領。首都クアラルンプールの南方約25kmに位置する。人口はおよそ12万人(2022年推計)で、ほとんどが政府機関で働く職員とその家族である。
プトラジャヤ Putrajaya ڤوتراجاي 布城 புத்ராஜெயா | |||
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Wilayah Persekutuan Putrajaya | |||
スリ・グミラン・ブリッジとプトラジャヤ | |||
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標語: Bandar raya Taman, Bandar raya Bestari | |||
国 | マレーシア | ||
成立 | 1995年10月19日 | ||
連邦直轄領 | 2001年2月1日 | ||
政府 | |||
• 管轄 | プトラジャヤ開発公社 | ||
• Pengerusi | Hasim Ismail | ||
面積 | |||
• 合計 | 49 km2 | ||
人口 (2022年[1]) | |||
• 合計 | 120,300人 | ||
• 密度 | 2,500人/km2 | ||
等時帯 | UTC+8 (MST) | ||
Mean solar time | UTC+06:46:40 | ||
ウェブサイト | http://www.ppj.gov.my/ |
第4代首相マハティールの提唱により、1990年代半ばから開発が着手された。首都機能のプトラジャヤへの移転はあるものの、マレーシアの首都はクアラルンプールのままであり、国会もクアラルンプールにある。
市名のプトラジャヤは初代首相のトゥンク・アブドゥル・ラーマン(Tunku Abdul Rahman Putra)にちなんでいる。putraはサンスクリット語由来のマレー語で「王子」を意味し、jayaは「勝利」を意味している。なお、中国語では布城と表記される(読みはブーチェン)。
1980年代、過密化が進むクアラルンプールから行政機構を移転させる構想が第4代首相のマハティールによって発表された。新しい首都はクアラルンプールとクアラルンプール国際空港の間に建設するのが望ましいと提案され、1990年代中期にスランゴール州との交渉に入った。その結果、連邦政府はスランゴール州から46km²の土地を購入した。 新首都はBandar raya Taman, Bandar raya Bestari(ガーデンシティ・インテリジェントシティ)をテーマに設計され、都市の38%を緑地として保存するように計画された。プトラジャヤの建設はマレーシア最大の国家プロジェクトとして、マレーシアの建設会社の手によって1995年8月に始まった。建設費は81億米ドルを見込んだ。1997年のアジア通貨危機によって工事は遅れ、1999年に首相官邸の機能の一部がプトラジャヤに移転を開始、2001年2月にはクアラルンプールとラブアンに次いでマレーシアで3番目の連邦直轄領となった。
2002年、KLIAトランジットという高速鉄道がセパン市のクアラ・ルンプール国際空港やクアラルンプールのクアラルンプール・セントラル駅とプトラジャヤとの間に完成した。計画されていたプトラジャヤ・モノレールは費用の面で建設が中止された。
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