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ブルック級ミサイルフリゲート

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ブルック級ミサイルフリゲート
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ブルック級ミサイルフリゲート(ブルックきゅうミサイルフリゲート、英語: Brooke-class guided missile frigates) は、アメリカ海軍ミサイルフリゲートの艦級。ガーシア級を元にして、後部の5インチ砲(52番砲)のかわりにターター・システムを搭載して改設計したものであり、19623年度で6隻が建造された。基本計画番号はSCB-199B[1]

概要 ブルック級ミサイルフリゲート, 基本情報 ...
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当初はミサイル航洋護衛艦(DEG)として類別されていたが、1975年の類別変更に伴ってミサイル・フリゲート(FFG)に再類別された[2]

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来歴

アメリカ海軍では、1956年12月に大西洋艦隊駆逐艦部隊(DesLant)司令官ジョン・ダニエル少将が提唱したように、かなり早期から航洋護衛艦(DE)ミサイル艦とすることについて議論されてきた。基本計画審議委員会(SCB)でも、1959年8月頃より、最大限の対潜戦能力と一定程度の対空・対水上戦能力を備えた駆逐艦についての検討が着手されていた。一方、通常の航洋護衛艦(DE)としては、まず戦後第2世代DEの嚆矢として1960年度でブロンシュタイン級(SCB-199型)が建造されており、1961年度では、高速化を図るなどした発展型が建造される予定となっていた[3]

1960年3月、艦船局(BuShips)局長ジェイムズ少将は、1962年度で、この発展型を元にしたミサイル護衛艦(DEG)を建造するよう提言した。そして同年10月の基本計画審議委員会(SCB)において、砲装型DEとミサイル型DEGの建造が発表された。このDEGとして建造されたのが本級である。一方、砲装型DEとして建造されたのがガーシア級(SCB-199A型)であり、まず1961年度からガーシア級が、続いて1962年度より本級の建造が開始された[4]

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設計

上記の経緯より、本級の基本設計はガーシア級と同一であり、マック構造を備えた遮浪甲板型とされた[5]。また同級より導入された過給水管ボイラーも踏襲されており、蒸気性状は主力戦闘艦並みの圧力1,200 lbf/in2 (84 kgf/cm2)・温度510 °C (950 °F)であった[1]電源も同構成で、タービン主発電機(出力500キロワット)2基とディーゼル非常発電機(出力500キロワット)2基が搭載された[6]

装備

要約
視点

本級は、基本的にガーシア級をもとにして、一部の装備をバーターとしてターター・システムを搭載した構成となっている。

センサー

Thumb
SPS-10対水上、SPS-52 3次元レーダー、SPG-51射撃指揮用

ガーシア級ではマック上に2次元式のAN/SPS-40対空捜索レーダーを搭載していたのに対し、本級では3次元式のAN/SPS-39に変更された[4]。また竣工後まもなく、発展型のAN/SPS-52に更新された[1]

その他のセンサはガーシア級の構成を踏襲しており、対水上捜索レーダーとしてはAN/SPS-10を搭載した。探信儀はバウ・ドームに収容されており[4]、62年度計画艦ではAN/SQS-26AXRが、63年度計画艦ではAN/SQS-26BXが搭載された[1]

電子戦装置としては、当初はAN/WLR-1電波探知装置およびAN/WLR-3レーダー警報受信機AN/ULQ-6電波妨害装置が搭載されていたが、後にAN/SLQ-32(V)2電波探知装置に換装された[7]

武器システム

中央の上部構造物上には、ガーシア級の52番砲にかえて、Mk.22 単装ミサイル発射機が搭載された。これは59年度計画DDGから装備化されたMk.13 単装ミサイル発射機の軽量化版であり、弾庫容量を40発から16発に削減している。艦対空ミサイルとしては、当初はターターを搭載していたが、後にSM-1MRに更新した[1]

マック直後にはMk.74 mod.2 ミサイル射撃指揮装置(GMFCS)が設置された。同世代のDDGでは2基を搭載した上に砲射撃指揮装置(GFCS)にもミサイル誘導機能が付加されており、同時に3個の目標と交戦できたのに対し[8]、本級ではGMFCS 1基のみの搭載であり、同時に1個の目標としか交戦できない[4]。なおGMFCSはのちにmod.6に更新されたほか、これと連接される武器管制システムとしてはWDS Mk.4が搭載された[7]

艦砲は、ガーシア級から52番砲を省いた構成となっており、船首甲板に38口径127mm単装砲(Mk.30 5インチ砲)を搭載して、艦橋構造物上のMk.56 砲射撃指揮装置(GFCS)により管制した。また「タルボット」は、オリバー・ハザード・ペリー級の新しい艦砲システムの試験艦となり、1974年8月には艦砲を62口径76mm単装速射砲(Mk.75 3インチ砲)に、またGFCSをMk.92に換装した[9]。ただし試験終了後、これらの装備は従前に復された[2]

対潜兵器はガーシア級と同構成であり、艦橋直前にはアスロック対潜ミサイルのMk.112 8連装発射機が搭載された。また62年度艦では人力での再装填とされて、艦橋構造物前面に折りたたみ式のクレーンが設置されていたのに対し、63年度艦では機力による次発装填装置が搭載され、発射機が艦橋構造物に近づけられているのも同級と同様である[3][10]魚雷としては、両舷には短距離用の324mm3連装短魚雷発射管(Mk.32)が搭載されたほか、多くの艦では、船尾にも長距離用の533mm連装魚雷発射管(Mk.24/25)が設置された。ただしMk.48魚雷の水上艦発射版の計画中止に伴い、533mm魚雷発射管は後日撤去された[3]。これらを管制する水中攻撃指揮装置(UBFCS)としては、Mk.114が搭載された[7]

艦載機

設計段階ではQH-50 DASHの搭載が予定されており、船尾甲板をヘリコプター甲板として、その直前にはDASHの無人航空機2機またはHUL連絡ヘリコプター1機を収容できる格納庫が設置されていた[3]。しかしDASHは1960年代末に運用停止となったことから、実際の運用は行われなかった[9]

その後、1972年から1975年にかけて、LAMPS Mk.Iの運用に対応する改修を受けた[2]。これに伴い、SH-2Fヘリコプターを収容できるよう、伸縮式の格納庫が設置された[7]

同型艦

当初計画では、1964年度で10隻、その後の会計年度で更に3隻の建造が予定されていたが、通常のDEと比して建造費が高いわりにはDDGと比して性能に劣る点が問題視され、1963年1月、ロバート・マクナマラ国防長官は以後の追加建造中止を決定した[4]

さらに見る アメリカ海軍, パキスタン海軍 ...
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出典

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参考文献

関連項目

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