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フランス領ウバンギ・シャリ

かつてアフリカに存在したフランスの植民地 ウィキペディアから

フランス領ウバンギ・シャリ
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フランス領ウバンギ・シャリフランス語: Oubangui-Chari)は、フランス1903年から1958年まで中央アフリカに領有していた植民地である。半分以上の期間はフランス領赤道アフリカの一部だった。ウバンギ川シャリ川周辺に存在した。

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ウバンギ・シャリ
Oubangui-Chari (フランス語)
1903年 - 1960年 中央アフリカ共和国
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(国旗) (国章)
国歌: La Marseillaise(フランス語)
ラ・マルセイエーズ
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  •   1916年以前のウバンギ・シャリ
  •   1916年以後のウバンギ・シャリ
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1910年頃の地図
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1924年の1サンチーム切手。二重加刷が有る。
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歴史

1889年、ウバンギ川の航行拠点としてバンギ事務局が設置された。

1891年12月9日フランス領コンゴ内に上ウバンギが設置された。

1892年ベルギー王の私領地であるコンゴ自由国のウバンギ・ボム州(フランス語:Oubangui-Bomou)との境界が北緯4度線に設定されたが、領土問題が発生した。

1894年7月13日、上ウバンギが独立した植民地になった。

1895年、コンゴ自由国との領土問題が解決した。

1899年、上ウバンギがフランス領コンゴに併合された。

1900年9月5日、上シャリ(フランス語:Haut-Chari)が設置された[1]上ウバンギ・スルタン国会社英語版が、上ウバンギの14万km2以上の領域でコンセッション方式で独占商業権を獲得した[2]

1903年12月29日、上ウバンギと上シャリを合わせてウバンギ・シャリとし、フランス領コンゴから分離した。

1906年2月11日チャド湖周辺の植民地を合併し、ウバンギ・シャリ・チャド(フランス語:Oubangui-Chari-Tchad)となった[1]

1909年ベルギー領コンゴからゼミオ・スルタン国とラファイ・スルタン国を獲得した[3]

1910年1月15日、フランス領コンゴとガボンと合併し、フランス領赤道アフリカ(FEA)となった。

1916年4月12日、ウバンギ・シャリ・チャドとして分離した。

1920年、チャド湖周辺を喪失した。

1934年6月30日、フランス領赤道アフリカに再合併した。

1937年12月31日フランスの海外県・海外領土として宣言された[1]

1940年6月16日8月29日ヴィシー政権に従った。 その後自由フランスに占領された。

1958年12月1日中央アフリカ共和国に改名し、自治権を獲得した。

1960年8月13日、名前はそのままで独立した[1]

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関連項目

  • ウバンギ・シャリの切手と郵便の歴史英語版

脚注

外部リンク

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