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かつてアフリカに存在したフランスの植民地 ウィキペディアから
フランス領ウバンギ・シャリ(フランス語:Oubangui-Chari)は、フランスが1903年~1958年まで中央アフリカに領有していた植民地。半分以上の期間はフランス領赤道アフリカの一部だった。ウバンギ川とシャリ川周辺に存在した。
1889年、ウバンギ川の航行拠点としてバンギ事務局が設置された。
1891年12月9日、フランス領コンゴ内に上ウバンギが設置された。
1892年、ベルギー王の私領地であるコンゴ自由国のウバンギ・ボム州(フランス語:Oubangui-Bomou)との境界が北緯4度線に設定されたが、領土問題が発生した。
1895年、コンゴ自由国との領土問題が解決した。
1899年、上ウバンギがフランス領コンゴに併合された。
1900年9月5日、上シャリ(フランス語:Haut-Chari)が設置された[1]。 上ウバンギ・スルタン国会社が、上ウバンギの14万km2以上の領域でコンセッション方式で独占商業権を獲得した[2]。
1903年12月29日、上ウバンギと上シャリを合わせてウバンギ・シャリとし、フランス領コンゴから分離した。
1906年2月11日、チャド湖周辺の植民地を合併し、ウバンギ・シャリ・チャド(フランス語:Oubangui-Chari-Tchad)となった[1]。
1909年、ベルギー領コンゴからゼミオ・スルタン国とラファイ・スルタン国を獲得した[3]。
1910年1月15日、フランス領コンゴとガボンと合併し、フランス領赤道アフリカ(FEA)となった。
1916年4月12日、ウバンギ・シャリ・チャドとして分離した。
1920年、チャド湖周辺を喪失した。
1937年12月31日、フランスの海外県・海外領土として宣言された[1]。
1940年6月16日~8月29日、ヴィシー政権に従った。 その後自由フランスに占領された。
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