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フランコ・ファンタジア(Franco Fantasia、1924年3月5日 - 2002年11月10日)は、イタリアの映画俳優、スタントマン、フェンシング・マスター。
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1951年から2002年まで100本以上の映画やTVに出演。マカロニ・ウエスタンが流行った1960年代からはフランク・ファレル(Frank Farrell、Frank Farrel)の変名を用い、フランク・ファンタジア(Frank Fantasia)やフランチェスコ・ファンタジア(Francesco Fantasia)とクレジットされることもあった。尚、兄弟のアンドレア・ファンタジアも俳優で、フランコと同時代にスタントや殺陣も務めた。
1950年代から1990年代にかけて活動したイタリアの助演男優、殺陣師。ピエトロ・ジェルミ監督の『鉄道員』(1956年)の頃には既に出演歴がある。多くのイタリアの俳優が恩恵に浴したのは1960年代から1970年代にかけてのマカロニウエスタン時代で、そんな彼も時流に乗り、善悪問わず数多くの役柄を演じることになる。元々はフェンシングの心得があり、史劇大作『エル・シド』(1961年)の起用や『ワーテルロー』(1969年)のスタント・コーディネーターへの抜擢に繋がっている。マカロニウエスタン・ブームが去った後は、夥しい数の娯楽作に顔を出している。クレジットされないこともしばしばで、『テンタクルズ』(1977年)の序盤に怪物に呑み込まれたりもしている。また、ジュリアーノ・モンタルド監督の『タイム・トゥ・キル/愛と勇気の戦場(エネミー・オブ・ウォー)』(1989年/未/ビデオ/dvd)ではスタント・コーディネーターを務めると共に、主演のニコラス・ケージの抜歯をする医師役で登場する。
1950年代末から1960年代に掛けて流行ったペプラム物を中心とする娯楽史劇では、俳優と並行してアクション演出(スタント・コーディネーター、マエストロ・ダルミ、コレオグラファー、マスター・オブ・アームとクレジットされることもある)や殺陣師(フェンシング・マスター)として活躍した。
テレンス・ヤング監督、アンソニー・クイン主演の『残虐の掟』(1967年)、ナポレオン戦争が題材のセルゲイ・ボンダルチュク監督の『ワーテルロー』(1969年)、リビアとの合作の戦争ドラマ『砂漠のライオン』(1980年)等、国際的な規模の大作にも起用された。
イタリア映画界ではアクション演出が出来る者が助監督を務めることが少なくなかった。クレジットされた助監督としてはウンベルト・レンツィ監督の『北アフリカ特攻作戦(デザート・コマンド)』(1967年/未/TV放映/dvd)が最初で、以後1990年代の初頭までレンツィ監督作品の助監督を出演の傍ら多数担当した。また、1970年代はセルジオ・ソリーマやフェルディナンド・バルディ、セルジオ・マルティーノ作品にも起用され、1980年代からはランベルト・バーヴァやトニーノ・ヴァレリイ等の作品群にも参加している。
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