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フェルディナン・アルキエ(Ferdinand Alquié, 1906年12月18日、オード県カルカソンヌ - 1985年2月28日、モンペリエ)は、フランスの哲学者。
1978年に道徳・政治学アカデミーの会員になった。1931年から1945年まで、フランスの地方部とパリにある幾つかのリセで教えた後、モンペリエ大学の教授となり、その後1979年に退職するまでソルボンヌ大学で教鞭をとった。
アルキエの研究者としてのキャリアは、デカルト主義者である自身と、スピノザ主義者であるライバルのマルシャル・ゲルーとの数十年にわたる論争に支配されていた。アルキエはあらゆる形態の哲学的一元論に対して猛烈に反対し、人間の生活は様々な種類の二元論で満ちていると考えたのである。また、全体主義やマルクス主義にも反対しており、アンドレ・ブルトンの親友として、シュルレアリスム運動にも関わっていた。
アルキエの教え子にはジル・ドゥルーズがいるが、マイケル・ハートによれば、ドゥルーズが哲学を軽んじて生物学や心理学から好んで引用することをアルキエは咎めていたという。ドゥルーズは師の批判に対してその通りだと答えた。そればかりか、ドゥルーズの一番の関心は、科学が必要とする形而上学であって、その逆である哲学が必要とする科学ではない、と言ってアルキエに賛同した。アルキエはドゥルーズの国家博士号請求論文『スピノザと表現の問題』の論文指導も行った。
デカルト、カント、スピノザについて多くの本を書き、またニコラ・ド・マルブランシュについての研究書も出した。アンドレ・ブルトンと親しい関係にあったことから、『シュルレアリスムの哲学』(1955年)という本を上梓した。同書において、シュルレアリスムはある種のヒューマニズムであり、無意識の躍動的な潜在性の価値を認める思想だと述べて、これを支持した。
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