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フェラーリ・F310
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フェラーリF310 (Ferrari F310) は、スクーデリア・フェラーリが1996年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カーで、ジョン・バーナードとグスタフ・ブルナーが設計した。1996年の開幕戦から最終戦まで実戦投入された。フェラーリとしてのコードナンバーは648。
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F310
F310の呼称は、Ferrari 3リッターV10エンジンに由来する。1996年からエンジンをフェラーリ伝統のV型12気筒からV型10気筒に変更した。また、ガソリンも1973年以来のパートナーシップのアジップから、それ以前に使用していたシェルに変更された。1995年ワールドチャンピオンのミハエル・シューマッハがベネトンから移籍してきたため、1990年のアラン・プロスト以来のカーナンバー1をフェラーリがつけることになった。
ギアボックスはカーボン製スペーサーを持つチタン製ケーシングを採用したが、度重なるトラブルのため一時旧型に戻された。
フロントノーズはハイノーズ化の時流に逆らい、先端の低い位置でフロントウィングを1点支持する形とした。サイドポンツーンはF92Aと似たような戦闘機風の形状となった。インテークが外側に張り出し、サイドポンツーン下端とアンダーパネルの隙間に気流を流しこもうとした。しかし、1996年からドライバー保護のため義務づけられたサイドプロテクターをウィリアムズ・FW18やジョーダン・196はダミープレートを付けることで小型化していたが、フェラーリは規定どおりに設計したため、非常に大型になり、リヤウイングに向かう気流がかなり乱された。また、インダクションポッドの吸気効率も悪く、少しでも改善しようとドライバーがヘルメットを傾けて走行するシーンも見られた。
F310は1994年の412T1と同じく、ジョン・バーナードの基本設計にグスタフ・ブルナーが修正を施し、シーズン中に大きく外観が変化した。別体のノーズコーンをやや強引にハイノーズ化し、主流派の2点吊り下げ式フロントウィングを装着した。第8戦カナダGPから投入されたこのバージョンはF310/2とも呼称された。第11戦ベルギーGP以降は7速ギアボックスが導入された。
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1996年シーズン
開幕戦はアーバインが3位表彰台を得たものの、これが彼にとってのシーズン最高位となった。第2戦ブラジルではシューマッハが3位表彰台を得たが、優勝したウィリアムズ・ルノーのデーモン・ヒルに周回遅れにされる屈辱を味わった。第4戦ヨーロッパGPではジャック・ヴィルヌーヴにプレッシャーを与え続け、優勝まであと一歩までたどり着いた。さらに翌週の第5戦、フェラーリの地元サンマリノGPではポールポジションを獲得。ティフォシ達のシューマッハに対する期待も大きくなっていった。次戦のモナコGPでもシューマッハはポールを獲得したが、ウェットコンディションの中、1周目のローズヘアピン後の右カーブで縁石でマシンを滑らせ、クラッシュしてしまった。第7戦スペインGPは再び雨。スタートで出遅れて後方集団の中にいたシューマッハは他を圧倒するスピードで一気にトップに躍り出て、フェラーリ移籍後初勝利をものにした。
しかしその後も駆動系の脆弱さが足枷となった。マシン全体を見直した改良型(F310/2)を投入したカナダGPでは、ギヤボックストラブルが発生。フランスGPではポールポジションを獲得したが、フォーメーションラップでエンジンブローに見舞われスタートできなかった。イギリスGPではギヤボックストラブルが再発。アーバインに至っては第7戦スペインGPから第14戦イタリアGPまでサスペンションやギヤボックスのトラブルで8戦連続リタイアと苦戦が続いた。
終盤戦になるとやや復調し、シューマッハはベルギーGPでウィリアムズのピット作業失策にも助けられて久しぶりの勝利、次のイタリアGPもヒルのリタイアやアレジとのマッチレースを制して2連勝を飾る。その後もポルトガルGPと日本GPでそれぞれ2位フィニッシュ。アーバインもポルトガルGPで5位入賞を果たした。
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スペック

シャーシ
エンジン
- エンジン名 Tipo046
- 気筒数・角度 V型10気筒・75度
- 排気量 2,998.1cc
- 最大馬力 750馬力
- スパークプラグ NGK
- 燃料・潤滑油 シェル
- イグニッション マニエッティ・マレリ
- インジェクション マニエッティ・マレリ
記録
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脚注
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