ピエトロ・ナルディーニ
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ピエトロ・ナルディーニ(Pietro Nardini, 1722年4月12日 - 1793年5月7日)は、イタリアの作曲家、ヴァイオリニスト。
ナルディーニはフィッビアーナ(Fibbiana、モンテルーポ・フィオレンティーノの分村)に生まれた。リヴォルノで音楽を学び、その後ジュゼッペ・タルティーニの門下に入る。タルティーニに師事し続ける一方、ドイツへと移ってシュトゥットガルトの宮廷チャペルへ入り、そこで1762年に指揮者となった。しかしながら、1765年にヴュルテンベルクでの職を辞し、1770年にフィレンツェでトスカーナ大公のカペルマイスターに就任した。
ヴァイオリニストとしてのナルディーニはレオポルト・モーツァルトの称賛を受けていた。自身も優れたヴァイオリニストであったレオポルトは、ナルディーニの演奏についてこう書き残している。
彼の音色の美しさ、純粋さ、均一さ、そして彼のカンタービレが持つ味を超えるものはない。しかし彼は難技巧を駆使しているわけではないのだ。
イングランドの女性作家ヘスター・リンチ・ピオッツィ(Hester Lynch Piozzi)[1]は1789年の『Observations and Reflections Made in the Course of a Journey Through France, Italy, and Germany』の中で、彼女と夫のガブリエル・マーリオ・ピオッツィが1785年7月にフィレンツェで催した演奏会においてナルディーニがソロを弾いたと記述している。
ナルディーニは作曲家としては寡作であった。いずれの作品も旋律的で演奏映えし、技術的な練習曲としても有用である。中でも最も知られるのはニ長調のソナタとホ短調の協奏曲である。
レオポルト・モーツァルトの友人であったナルディーニは、彼の息子のヴォルフガングが1770年から1771年にかけて初めてイタリアを訪れ、安定した職を求める姿を目にしている。また、ナルディーニはオーストリア領ロンバルディアを統治していた大公フェルディナンド・デステのカペルマイスターを務めた、ボヘミアの作曲家ヴァーツラフ・ピフルにも出会っている。
ナルディーニはフィレンツェに没した。
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